化猫遊女 | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

珍説鍋島化猫騒動

珍説鍋島化猫騒動化猫遊女は、江戸時代の日本の黄表紙、洒落本、咄本、歌舞伎などに登場して人気を博していたキャラクターの一つ。当時の品川宿で起きていた「化猫の飯盛女がいる」という風説をもとに創作されたキャラクターであり、普段は遊廓に勤めている遊女が、深夜になると化猫に姿を変えるというもの。

化猫遊女の典型的な描かれ方は、遊郭で遊女と客が一夜を共にし、客が寝入った後に遊女がこっそりと起き客が気づくと遊女がネコの顔と人型の体を持つ化猫に姿を変え、食べ物を食べている。

1781年(天明元年)の黄表紙『化物世櫃鉢木』、および同書と他書との改題合成本である1802年(享和2年)の『化物一代記』では、品川宿の遊廓で深夜に客が遊女部屋を覗くと、井出野という馴染みの遊女が化猫に姿を変えてエビを頭からガリガリと齧っている場面がある。この化け猫は、狩人に殺された親の家を相続したいと化け修行をしている、親孝行な娘とされている。1798年(寛政10年)の『腹鼓臍噺曲』にも同様に、化猫に姿を変えた遊女がエビを齧っている姿を客が目撃する場面があり、1775年(安永4年)の歌舞伎『花相撲源氏張胆』では、化猫遊女が魚を食べ散らかす場面がある。

こうした魚介類を食べるもののみならず、人間を食べる物騒な化猫遊女もいる。前述の『花相撲源氏張胆』を描いた1775年(安永4年)の狂言絵本には、遊女の足元に食べ残しとおぼしき人間の腕が転がっている場面があり、1796年(寛政8年)の黄表紙『小雨衆雨見越松毬』では、客が遊女部屋を覗くと、遊女が人間の腕を齧っている場面がある。ただし後者では、遊女は化猫ではなく人間の姿のままで描かれており、人間の腕と見えたものはサツマイモの見間違えにすぎなかったというオチがついている。

化猫
2012.8.4に弘前市土手町で運行された下新町ねぷた同好会の見送り絵に描かれた化猫…絵師 三浦呑龍

鳥居清経画『花相撲源氏張胆』。遊女の足元に食べ残しらしき人間の腕が転がっている。このように遊女が化猫にたとえられたのは、遊女が「寝子(ねこ)」の別名で呼ばれたことや、実際にネコを飼う遊女が多かったこと、周囲から隔離された遊郭は非現実的な空間であり、その中にいる遊女はある意味で妖しげ存在であったこと、そうした妖しげな遊女像にネコという動物の持つ神秘性が結びついたこと、遊郭で女性が閉じ込められて閉鎖された環境では陰湿な感情が蓄積されて妖怪伝承のもととなりやすかったこと、さらに加えて、遊女が客の前で食事をとるのは失礼にあたったため、廊下や下卑蔵部屋(遊女たちの食事部屋)などでこっそりと食事をとっており、そうした場面を偶然目撃した者は不気味な光景に映っていたであろうことが理由として考えられている。

品川にほど近い増上寺では、1852年(嘉永5年)に住職が戒律を破り、医者に扮して吉原遊郭で遊女と戯れていた事件があり「化ける」ということと品川の地が結びついていたと見る向きもある。

また、昭和以降の化猫映画には「夜中に行灯の油を嘗める」という典型的な場面があるが、夜中に食べ物を食べる化猫遊女の姿がその原型だとの説もある。