
生家は本牧・小港のチャブ屋街にあった「東亜ホテル」。7歳の頃から独学で学んだピアノを弾き始める。
15歳の時、「パン猪狩とマーキス・トリオ」のピアニストとしてプロデビュ-。翌年には自己のバンド「松岡直也カルテット」を率いてライブを中心に活動を開始する。
また「浜口庫之助とアフロ・クバーノ・ジュニア」にピアニスト、アレンジャーとして参加し、ヒット曲「黄色いサクランボ」を編曲。
この頃からラテン音楽の虜になり、「キューバン・スペシオーサ」、「松岡直也ピアノ・トリオ」、「ラテン・スペシオーサ」、「松岡直也ラテン・ピアノ・トリオ」、「松岡直也ハバナ・ビーツ」(後に「松岡直也ハバナ・ビーツ・オーケストラ」に改名)などのラテンバンドで活躍する。