1961年に5人で結成され、すぐにフィル・スペクターのレーベルフィリーズレコードと契約。彼女たちの最初のヒットは、1961年11月にリリースされた「ゼアズ・ノー・アザー・ライク・マイ・ベイビー」(There's No Other Like My Baby)で、ビルボードの20位まで上昇した。続いて、バリー・マンとシンシア・ウィルのペンになる「恋のアップタウン」(Uptown) が2曲目のラジオ・ヒットとなる。
6枚目のシングルは彼女たちの代表曲となる「ハイ・ロン・ロン」(Da Doo Ron Ron)。この曲も最初はダーリーン・ラヴとブロッサムズによってレコーディングされたが、リリース直前になってスペクターはラヴのリードのみを"ラ・ラ"・ブルックスのものに差し替えた。曲はアメリカ、イギリス双方でトップ10ヒットとなった。続く「キッスでダウン」(Then He Kissed Me)は「ヒー・ヒット・ミー」以来、本来のクリスタルズが全員レコーディングに参加した曲となった。