
Wikipediaより抜粋

ロシア西部、バルト海のフィンランド湾最東端、ネヴァ川河口デルタに位置する。ロシア有数のグローバル都市、港湾都市であると共に、鉄道・国際航路の要衝でもあり、モスクワに次ぐロシア第2の都市である。行政上はモスクワと共に連邦市を形成しており、ロシア連邦を構成する83連邦構成主体の一つ。
市街はネヴァ川河口デルタの島々と両岸に広がり運河網が発達し、バルト海において重要な港市の位置を占める。ネヴァ川は運河や河川などにより、白海、ドニエプル川、ボルガ川と結ばれているため、この都市はカスピ海やウラル、ボルガからの船舶のバルト海への出口となっている。港は冬季である11~4月に凍結してしまうが、厳寒期を除いて常に砕氷船が航路を維持している。また、市中心部に運河が縦横に巡る美しい街並みを有することから、「北のベネチア」と称されることもある。


大北方戦争の過程で、スウェーデンから奪取したバルト海・フィンランド湾沿岸のイングリアに新都として造営された。河口付近には、ペトロパヴロフスク要塞も同時並行で建設されるなど、建造作業は過酷なもので、多くの人命が失われた。その数は1万とも言われる。
ロシア革命では二月革命・十月革命の2つの革命の中心地となり、武装蜂起によるボリシェヴィキの政権奪取やレーニンによる憲法制定会議の解散が起こった。その後、ソヴィエト政権は外国からの干渉を恐れ、首都をより国境から遠いモスクワに移転、1922年に正式に定められたことで、この町は政治の中心地から外れた。

第二次世界大戦中は、フィンランド、ドイツ両軍を基幹とする枢軸軍によって約900日にわたる包囲を受けた(レニングラード包囲戦)が、凍結した湖から細々と物資輸送を行うなどして耐え抜いた。

1998年に周辺の8市17町(ツァールスコエ・セローがあるプーシキン市やクロンシュタット等)を編入し、市域が拡大した。2008年5月に首都モスクワから憲法裁判所が移転し、サンクトペテルブルクはロシアの首都機能の一部を担うこととなった。

スモーリヌイ修道院はソビエト政権独立宣言がここで行われ、首都がモスクワに移されるまでソビエト政府の中枢であった。