
Wikipediaより抜粋

エストニアとロシアとの国境からは東へ20kmしか離れておらず、中世には国境防衛と国境貿易でロシア有数の大都市として繁栄を謳歌した。人口202,780人。

プスコフには13世紀以来建設された中世の城壁の多くが今も保存されており、城壁に囲まれたクレムリン(クロムと略称される)は特に印象的な街のランドマークになっている。城壁の中には高さ78m(256フィート)の至聖三者大聖堂がそびえている。1138年に創建された大聖堂は1690年代に再建されて現在に至っており、大聖堂内には聖公フセフォロド( - 1138年)とドヴモント(ダウマンタス、 - 1299年)の墓がある。その他の教会建築にはミロジスキー修道院(1152年完成)、聖イワン聖堂(1243年)、スネトゴルスキー修道院(1310年完成、1313年に塗装)などがあり、中世にはロシアの宗教と文学と美術の中心であった。
プスコフは小さくずんぐりした絵になる教会堂が多いが、その多くは15世紀や16世紀に遡る。また17世紀の商人たちの大邸宅も多く残る。
近郊には9世紀にリューリクの兄弟が拠点を構えた場所であり中世ロシアの堅固な要塞でもあったイズボルスクがある。ペチョリにあるプスコヴォ・ペチェルスキー修道院は、絶えず続いている修道院としてはロシア最古で全国からの巡礼を集める。またミハイロフスコエの村はアレクサンドル・プーシキンが代表作の多くを書いた場所であり、近くの修道院に埋葬されている。ロシアの精神的故郷とも言うべきこれらの地域の観光インフラはまだ整っておらず、プスコフおよびその周辺への観光業への投資が望まれている。
