カリーニングラード | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

カリーニングラード市旗
カリーニングラード市旗

Wikipediaより抜粋
カリーニングラードと周辺諸国地図カリーニングラード(露:Калининград)は、ロシア連邦西部にあるカリーニングラード州の州都。バルト海に接する港湾都市で、人口は約42万人。カリーニングラード州はポーランドとリトアニアに挟まれたロシアの飛地領で人口はおよそ95万人、世界有数の琥珀の産地としても有名。

カリーニングラードは元々1255年にドイツ人の東方植民によって建設された都市で、1946年まで使われていた旧名はケーニヒスベルク(Königsberg;ドイツ語で「王の山」の意味)。20世紀前半まではドイツの東北辺境の重要都市であった。

冷戦崩壊後にリトアニアがソ連から独立した結果、カリーニングラード州は今度はソ連・ロシア連邦の飛び地となってしまった(ソ連崩壊後は、ベラルーシによってリトアニアとも隔てられる)。さらに冷戦後の造船需要の悪化で造船業が衰退して失業率が増加し、市民の4割が貧困層といわれるほど経済状況が悪化、琥珀も密売者の間で高騰する事態となった。ソ連崩壊後の一時期は東欧各国の中心にある地理的特性を活かして「バルト海の香港」としようという夢が語られたが、それとは程遠い状態になりつつある。ソ連崩壊直後にロシアは、ここをポーランド領とする案を用意(代わりにドイツはシュチェチンを得るという話であった)したものの頓挫、結局そのまま放置されるに至った。

カリーニングラード市街と市電
カリーニングラード市街と市電

救世主ハリストス大聖堂カリーニングラードの経済は崩壊し、この町が東ヨーロッパの中心に位置するということもあって、麻薬取引、人身売買、盗難車の取引中継地など、東欧・旧ソ連全域を舞台にしたさまざまな犯罪の拠点に使われるほど治安が悪化、HIVなどの感染症も蔓延し始めた。更に軍事都市時代の有害な廃棄物が放置されており、住めない土地が各地に広がっていた。もはやこの都市の存在が、ロシアにとってもポーランド・リトアニアなど周辺諸国にとっても頭痛の種となってしまっていた。

独立後10年を経て、ロシア政府はウラジーミル・プーチン大統領の夫人がカリーニングラード出身ということもあってカリーニングラードの復興をてこ入れすることにし、経済対策として経済特区を設け、輸入関税を免除するなど外貨獲得を目指した。しかし、当初はロシア国内向けの家電組立工場が多数成立した他は特区の効果はあまり出ず、さらに2004年に周囲を取り囲むリトアニアとポーランドが共にEUに加盟したため、カリーニングラードとロシア本土との通行にリトアニアがビザを科すようになったなど、周囲との通行に障害が生じ、先の見通しが立たないとまで言われる状況に陥った。

ところがその後、ロシア本土との通行にリトアニアのビザ取得が簡素化され、物流も整備された結果、カリーニングラードの経済は驚異的な成長を遂げている。