
Zone A (Chyornaya Guba) は、1955年 - 1962年の間及び1972年 - 1975年に使用された。Zone B (Matochkin Shar) は、1964年 - 1990年間に地下実験に使用された。Zone C (Sukhoy Nos) は、1958年 - 1961年間 に使用された。中でも1961年の核実験では、史上最高の50メガトン級の水素爆弾・ツァーリ・ボンバの爆発実験が行われた。その他にも、ノヴァヤゼムリャ島の箇所箇所で実験は行われている。
1963年の大気圏内での核実験が制限された後、1973年9月12日に最大級の地下核実験(4.2メガトン)が行われた。
ツァーリ・ボンバや他の大気圏内の核爆発実験に比べ、爆発エネルギーははるかに小さいものであったが、マグニチュード6.97規模の地震を引き起こすに至った。8千万トンの氷河の地すべりが起き、2kmの長さの湖が出来上がった。
224回にも及ぶ核実験の総爆発量は、265メガトンにもなる。これは、第二次世界大戦で使用された弾薬量の総量(広島、長崎2つの原子爆弾の総爆発量を含む)の2メガトンをはるかに超える。
1988年 - 1990年になると、グリーンピースなどの環境保護団体等により、同地での核実験反対運動が起こり、また、冷戦構造の変化や、ソビエト連邦の崩壊、社会、財政の混沌などの理由から、1990年に行われた核爆発実験が最後のものとなった。
しかし、1998年になると原子力エネルギー庁による臨界前核実験が毎年秋に行われるようになった。但し、この実験は核兵器用プルトニウム100gまでの実験である。


TNT換算で広島型原子爆弾「リトルボーイ」の3300倍、または第二次世界大戦中に全世界で使われた総爆薬量の10倍といわれるこの50メガトン級核爆弾の核爆発は1,000キロメートル離れた場所からも確認でき、その衝撃波は地球を3周した。
