高峰秀子 | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

銀座カンカン娘 (1949)

Wikipediaより抜粋
高峰秀子高峰秀子(1924年3月27日 - 2010年12月28日)は、函館市出身の日本の女優、歌手、エッセイスト。愛称:デコちゃん。夫は映画監督、脚本家の松山善三。本名:松山 秀子、旧姓:平山。身長153cm。

1929年映画『母』に子役でデビュー以降、戦前・戦後を通じて日本映画界の大スターとして活躍し、1979年に女優引退後はエッセイストなどの活動をした

養父に手をひかれて松竹蒲田撮影所に連れていかれ、『母』の子役オーディションの列に並ばされ選ばれる。以降デビューから1937年までの子役時代を過ごす。日本のシャーリー・テンプルと呼ばれる。共にオデコであったのでデコちゃんの愛称がつく。この時代に既にスターとしての人気を博しており、島津保次郎監督『愛よ人類と共にあれ』(1931年)では男の子役を演じるなど、天才子役の名をほしいままにしている。

しかし家庭内は、養母が日本におけるステージママのはしり的な存在であり、その強烈な愛情への戸惑いや、高峰の収入で親族全体が生活していることへの精神的な負担など、一概に幸福とは言えない状況であった。

銀座カンカン娘 高峰秀子

1979年、木下惠介監督の映画『衝動殺人 息子よ』に出演予定であった八千草薫が降板し、代役を依頼され出演する。久々の映画出演に製作発表記者会見ではこれで引退かと質問され「とっくに引退したつもりだったんですけどねえ」と答える。製作中の後日、女優引退を発表する。

引退後はエッセイストとして活動。また、映画『典子は、今』等に助監督として製作に参加するほか、2003年には映画『葉っぱのフレディ』で朗読を担当した。2010年12月28日、肺がんにより死去。86歳没。