ヤロスラヴリ | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

前駆受洗イオアン大聖堂
前駆受洗イオアン大聖堂:1671年から1687 年にかけてコトロスリ川沿いに建てられた

Wikipediaより抜粋
ヤロスラヴリ市旗ヤロスラヴリ(露:Ярославль)はヤロスラヴリの州都。人口は604,000人。ヴォルガ川沿いに位置する河港都市で、ロストフから流れるコトロスリ川との合流点にある。工業が盛ん。交通の要所でもあり、道路網・鉄道網を通じて各地と結ばれている。

ヤロスラヴリで一番古い建物は、救世主修道院(スパスキー修道院)にある救世主顕栄聖堂(スパソ・プレオブラジェンスキー聖堂)である。現在の聖堂の建築年代は1506年から1516年にかけてで、1216年から1224年にかけて建設された最初の聖堂の基礎の上に建てられた。16世紀には石の城壁が修道院の周りに建てられ要塞となった。動乱時代のロシア・ポーランド戦争で、ポーランド軍に占領されたモスクワを解放するため、クジマ・ミーニンとドミトリー・ポジャルスキー公爵の国民軍はこの修道院から出撃した。1787年には修道院は閉鎖され、建物はヤロスラヴリおよびロストフ府主教の邸宅に転用され、建物の増築や再建が行われた。

救世主修道院の救世主顕栄聖堂
救世主修道院の救世主顕栄聖堂

救世主顕栄大聖堂のほかには、17世紀に遡る「ヤロスラヴリ式」と呼ばれる、赤レンガで建てられ白い明るい色のタイルを外観に張った聖堂がいくつかある。預言者イリヤ聖堂(イリヤ・プロローク聖堂)はその中でも代表的なもので、北東ロシアの「黄金の環」と呼ばれる古都群の聖堂の中でも印象的なフレスコ画で飾られている。

1750年に建てられたヴォルコフ劇場はロシアでも最古級の劇場である。デミドフ記念柱はロシアの産業家デミドフ家のパーヴェル・グリゴリーエヴィチ・デミドフがヤロスラヴリの高等教育機関(1803年創設のデミドフ・リュケイオン、後のヤロスラヴリ大学)建設に尽力したことを記念して1829年に市民の寄付で建てられたもので、花崗岩の高い柱の上に天球儀と鷲があしらわれている。しかし2月革命後は専制君主の象徴である鷲が取り去られ、1931年には柱自体が撤去された。市の歴史博物館の発議で、2005年に再建されている。

市内にはロシア正教会の聖堂多数があるほか、古儀式派の聖堂、バプティスト教会、ルーテル派教会、モスク、シナゴーグがある。そのため、この地域は、世界遺産ヤロスラヴリ歴史地区に指定されている。

預言者イリヤ聖堂(イリヤ・プロローク聖堂)
預言者イリヤ聖堂(イリヤ・プロローク聖堂)

預言者イリヤ聖堂(イリヤ・プロローク聖堂)
預言者イリヤ聖堂内部(イリヤ・プロローク聖堂内部)