ヤクーツク | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

ヤクーツク市街
ヤクーツク市街

ヤクーツク市旗Wikipediaより抜粋
ヤクーツク(Якутск, Yakutsk)はロシア連邦に属するサハ共和国の首都。レナ川に面する河港を持つ。人口は217,800人(2006年)。

1632年に建設された要塞を起源とする。ヤクーツク国立大学(1956年に開設)などの高等教育機関や、ロシア科学アカデミーの支部がある。

北半球で最も気温が低い寒極付近に位置するため、冬の寒さが非常に厳しく、1月の平均気温は-40.9℃で厳寒期には-50~-60℃になることがある。(なお南極昭和基地の最低気温記録が-45.3℃である。)しかし、夏には緯度にも拘らず暑くなり、7月にはしばしば30℃を超えることがあるという、内陸性気候であり大陸性気候である。また永久凍土の上に建てられた都市としては世界最大で、多くの建物はコンクリートの杭の上に建つ。

1683年に建設された要塞の塔1632年に東シベリアへと進出したコサックが建設した砦を起源とする。砦は、入植地を取り囲むように柵が張り巡らされていた。エニセイスク軍政部の管理下にあったが、1638年より分離してヤクーツク軍政部のもとに置かれた。当初はレナ川右岸に築かれたが、1643年に現在の左岸へと移された。以後、ロシア人の商人や入植者が東シベリアから北極海、極東に至る範囲へ進出する拠点となり、シベリアや極東の毛皮交易の拠点、毛皮の集散地として重要な役割を果たしたが、都市と呼べるまでに拡大するのは1880年代から1890年代にかけて金やその他金属の鉱床が発見されてからである。これらの鉱山にはヨシフ・スターリンの時代、グラグ(強制収容所)が作られて多くの政治犯や戦争捕虜が送り込まれ、開発がすすめられた。グラグの急速な増設と強制労働者たちによるシベリアの急速な開発は、ヤクーツクを大きな街にした。

ヤクーツクは南から延びるレナ国道の終点である。実際には国道はレナ川の対岸までで、サハ共和国内には巨大なレナ川を渡る橋はないため、夏はそこからフェリーで川を渡り、冬は凍結した川の上を車で走る。しかし、氷がまだ厚くない晩秋や、溶けたたくさんの氷が流れたり雪解け水で川があふれたりする春は川を渡ることができないため、ヤクーツク対岸の国道終点付近には人口4,000人ほどのニジニ=ベスチャク(Нижний Бестях)という街がある。また、ヤクーツクは極東のオホーツク海沿岸の街マガダンともコリマ国道で結ばれている。