石場旅館 沿革 | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

創業者の石場久蔵氏は、弘前藩士の息子として嘉永3年(1850)津軽藩の弘前に生まれました。久蔵は廃藩置県後、風呂敷に小間物を包んで行商を始めます。久蔵が30歳の頃、現在の地に小間物屋と旅籠を兼ねた旅館業を営んだのが石場旅館の始まり…と現在の女将(創業者の孫)が伝え聞いたそうです。

明治19年(1886)に当時の駅伝取締役*から駅伝宿舎としての木札を受けていることからも、創業時期の推定は可能であることから、伝え聞いた事実も符合します。

明治27年(1894)に弘前~青森間に鉄道が開通し、明治30年に陸軍第八師団が設置されています。明治29年当時の日本軍が発行した「大日本旅館」という冊子に石場旅館が掲載。更に「陸軍召集軍用旅舎」と言う看板も保存されていることから、多くの軍部関係者が宿泊されていたものと考えられます。
皇室や政府要人関係者名も看板に遺されていることから、弘前市でも由緒ある古の旅館と言えます。

石場旅館は昭和15年に北西側へ増築。昭和30年代に客の要望で現在の間取りに改修後、昭和45年に正面の改装と西側に客室と浴室を増築して現在に至っています。

この資料編を公開するにあたり、資料提供に協力して下さった館主の石場創一郎氏に感謝致します。
弊サイトを御覧になっている皆様も、この機会に是非、石場旅館へお泊まりになって古の弘前を感じてください。

※駐車場/10台   ※ライトアップ一部有    ※チェックイン/PM3:00~ チェックアウト/AM10:00 門限はAM1:00
※宿泊のみ/A室 4,725円 B室 5,775円 小学生以下2割引 40名まで宿泊可能 4/20~5/10、8/1~8/7は左記料金の1割増
※外観撮影自由・内部を撮影する場合、事前連絡が必要   食事などの料金はこちらを参考にしてください      
※住所 〒036-8355 弘前市元寺町55 ℡ 0172-32-9118 FAX 0712-32-5630

石場創一郎…女将の息子で石場旅館館主。撮影者と幼なじみで、館主は撮影者より東奥義塾高校の6年後輩にあたる。数年前に弘前市内の建築物にちなむツアーを企画、参加者から絶賛を受けた。今後もその企画力に注目。女将と撮影者の母が養生幼稚園からの親友で、撮影者も何度か石場旅館に出入りした。大女将にも会っている。
駅伝取締所…鉄道がまだ通らない地域の役場に設置。公務の内容を持ち歩く駅伝を取り締まり、旅人宿営業の許可を出した。

石場旅館一階見取り図…青色は昭和45年に増築された

石場旅館二階見取り図…青色は昭和45年に増築された

看板

陸軍召集軍用旅舎

要人宿泊者看板

右から
 伯爵板垣様御旅館
 北白川宮成久王殿下御旅館
 宮内大臣男爵波多野敬直閣下御旅館
 司法大臣松室致閣下御旅館
 特命検閲使陸軍大臣貞愛親王殿下御旅館
 本願寺御連枝淳浄院殿御旅館
 公爵二条基弘閣下御旅館
 侯爵西郷従徳閣下御旅館
 森文部大臣様御旅館


木札と旅館帳

弘前駅伝取締所印・表(明治19年)

弘前駅伝取締所印・裏(創業者の石場久蔵が書かれている)

大日本旅館 改良組・表紙

大日本旅館 改良組・裏表紙

石場旅館掲載ページ・屋号と創業者名で表示

配置図

石場旅館配置図…増築された新館は登録範囲から除外


石場旅館は8月下旬に行きました。館主が幼少の頃の記憶が強く残っていて、当時と比べると女将によく似た顔も変わりました。最初別人と話をしているようで戸惑いましたが、家族の話などをするうちにやっぱりそうちゃん(館主が幼少の頃の呼び名)だ…と思いました。これで今年のブログは終了です。また来年も皆様に御覧戴けますよう、宜しくお願い申し上げます。
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