玉音放送 | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

終戦の詔勅(玉音放送)

Wikipediaより一部抜粋
玉音放送とは天皇の肉声(玉音)を放送することをいう。特に1945年(昭和20年)8月15日正午(日本時間)にラジオ放送された、昭和天皇による終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書、戦争終結ニ関スル詔書)の音読放送を指すことが多い。この玉音放送は、太平洋戦争(大東亜戦争)における日本の降伏を国民に伝える意味を有した。

玉音盤放送は玉音盤と呼ばれるアセテート盤(アルミニウム製の心材をセルロースの化合物でコーティングしたもの)レコード録音によるものであったが劣悪なラジオの所為で音質が極めて悪い上に天皇の朗読に独特の節回し(天皇が自ら執り行う宮中祭祀の祝詞の節回しに起因するという)があり、また詔書の中に難解な漢語が相当数含まれていた為に論旨はよく解らなかったという人々の証言が多い。朗読やそれを聴く周囲の人々の雰囲気、玉音放送の後の解説等で事情を把握した人が大半だった。また殆どの国民にとって天皇の肉声を聴くのはこれが初めての機会であった為に、天皇の声の異様さ(朗読の節、声の高さ等)に驚いたというのもしばしば語られる事である。また沖縄で玉音を聞いたアメリカ兵が日本人捕虜に「これは本当にヒロヒトの声か?」と訊ねるも、答えられる者は誰一人居なかったというエピソードがある。

玉音放送において「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」(私は米英支ソ4国へ共同宣言を受け入れると帝国政府に通告させた)という文言が「日本政府はポツダム宣言を受諾し降伏する」ことを表明する最も重要な主題ではあるが、多くの日本国民においては「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」という部分が戦時中の困苦と今後への不安を喚起させ、とくに印象づけられて有名である。

なおラジオ放送のマイクが天皇の肉声を意図せず拾ってしまい、これが放送されるというアクシデントが1928年(昭和3年)12月2日の大礼観兵式に一度おこっているが天皇の声が電波に乗って正式に放送されたのはこれが最初である。その後宮中筋は天皇の肉声を放送する事は憚り(はばかり)ありとして極端にこれを警戒し、結局戦争の終結まで公式に玉音放送が行われたのはこの1945年(昭和20年)8月15日一度きりであった。

玉音放送の翻訳