1875年(明治8年)日本は樺太千島交換条約を結び、樺太を放棄する代償としてロシアから千島列島を譲り受けました。 この条約では日本に譲渡される千島列島の島名を一つずつ挙げていますが、列挙されている島は得撫島以北の18の島々であって、択捉島以南の北方四島は含まれていません。
日本共産党の主張も、この時代に遡っています。
理由は平和裏に手に入れたもの…ですが、現実的には四島一括返還が理想でしょう。

この頃は、満州の植民地化が行われた時代でもあります。それ以降、日本の軍国化が急速に進みました。
まるで、現代の北朝鮮政治を思い起こすかのような映像です。非常時と言う言葉が乱発された時代でした。