ABBA | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

Dancing Queen 1976

Wikipediaより抜粋
ABBA(アバ)は、世界的なヒット曲で知られるスウェーデンのミュージシャン男女4人グループである。 1970年代半ばから80年代初頭にかけて活躍し、「ポップ・ミュージックの完成者」と呼ばれる。
グループ名の由来は、メンバー4人の頭文字を取ったもの。元々は、「Björn & Benny, Agnetha and Anni-Frid」という長い名前だったが、ある日マネージャーのStig Anderssonが何かの書類に彼らの名前を記入する際に適当にイニシャルを並べて「ABBA」と書いたことから、それがグループ名になった。ビョルン、ベニーが曲を作り、アグネッタ、フリーダが歌う(一部、ビョルンが歌っているものもある)。

ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974優勝をきっかけに「恋のウォータールー」の大ヒットでヨーロッパ中で名前が売れたが、最初は「one hit wonder (一発屋)」だと思われていた。ABBAがヨーロッパでの人気を確立するのは、「SOS」がイギリスを含む全ヨーロッパで大ヒットし、一発屋の汚名を返上してからである。またオーストラリアは、早くからABBAの人気に火が付いた地域で、後述の『ダンシング・クイーン』がヒットするまで「世界で一番熱心なABBAマニアはオーストラリア」と言われていた(それ故に、映画「ABBA The Movie」の舞台はオーストラリア)。

I Do, I Do, I Do (1975)

1976年に『ダンシング・クイーン』が英米を含む全世界的にヒットし、その後「ザッツ・ミー」、「テイク・ア・チャンス・オン・ミー」「きらめきの序曲」、「チキチータ」、「ザ・ウィナー」など活動を停止するまで世界的なヒット曲を連発した。

また、「ヴーレ・ヴー」、「ギミー!ギミー!ギミー!」などのヒット曲でヨーロピアン・ディスコ・ミュージックを確立し、70年代後半のヨーロッパでは、ABBAの大成功に刺激されたニュートンファミリー、アラベスク、ジンギスカンなどヨーロピアン・ディスコのフォロワーを大勢産み出した。

1979 Chiquitita

今日から一ヶ月に渡って、海外の懐メロをやりたいと思います。最初は思い入れのあるABBAです。
個人的にはChiquititaが大好きで、どことなく北欧を感じさせる旋律が涙腺を緩ませ感動を誘います。