ベトナム・フエの宮廷音楽 | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

ベトナムの宮廷音楽1

フエの建造物群Wikipediaより抜粋
ベトナムの雅楽
ベトナムの雅楽(ベトナム語:Nhã nhạc cung đình Huế(フエ宮廷雅楽の訳), 英語:Vietnamese Court Music Nha Nhac)は、ベトナムの宮廷で演じられた雅楽である。胡朝時代(1400年 - 1414年)に誕生し、黎朝時代(1428年 - 1788年)、阮朝時代(1802年 - 1945年)に宮廷儀式として確立された。

宮廷の消滅とベトナム戦争による破壊により、一時消滅の危機に瀕したが、1996年にフエ大学に宮廷音楽コースが設置され、2000年以降卒業生を輩出している。2003年11月7日の第2回「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」において傑作の宣言を受けており、2009年9月に予定される初の登録での世界無形遺産への登録が事実上確定している。2006年11月にフエ遺跡保存センター宮廷音楽合奏団が来日し、コンサートを行っている。


フエの位置Wikipediaより抜粋
フエ (Huế) はベトナム中部の都市、トゥアティエン・フエ省の省都。フランス語風にユエと呼ばれることもある。フエは化の漢字音 = hóa の変化したものといわれる。漢名順化(トゥアンホア)は中国語として現在も用いられている。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に「フエの建造物群」が登録されている。

フエの歴史
1558年以降、広南阮氏の本拠地となり、タイソン朝による中断の後
1802年に成立した阮朝の都が置かれた。フエが位置する北中部2省:クアンチ省、トゥアティェン・フエ省は1306年まではチャンパ王国の烏里(ウリク)州であり、大越陳朝の領有後に北の順州(現クアンチ省)と南の化州(現トゥアティエン・フエ省)に分割され現在に至る。広南阮氏時代の名称は順化都城、阮朝時代の名称は富春京師。

10世紀 - チャンパ王国(チャム族)の中心都市の一つ。
16世紀~18世紀 広南阮氏政権の都。
18世紀後半の西山党時代(西山党の乱)、西山阮氏三兄弟の一人
光中帝(阮文恵)に占領され、その拠点となった。
1802年 - 嘉隆帝(阮福暎)により阮朝の首都になる。
1883年 - フランスに占領され、第一次フエ条約(アルマン条約)を結び、安南(アンナン)保護国となる。
1884年 - フランスと第二次フエ条約(パトノートル条約)を締結し、保護国化を確認する。
仏領インドシナでもフエには皇族(阮福族)が宮廷を構えており、日本など各国の領事館があった。

ベトナムの宮廷音楽2

<フエ>グエン朝の音楽家たちより抜粋
2003年11月にフエの宮廷音楽がベトナムで初めてのユネスコ無形世界遺産に登録された。1945年のグエン王朝の滅亡後は宮廷楽士たちも散り散りになり、その伝統技能を継承する場は失われていた。それが1994年にユネスコの後援で再生活動が始まるまで50年近くも生き残り続けることができた背景は、父から子、子から孫へと、戦争や混乱の時期を乗り越え脈々と宮廷音楽を継承している音楽家たちの存在がある。