藩政初期から鍛冶や銅屋の職人町で、特に津軽の著名な刀工が住んでいたことから、本鍛冶町の呼び名が生まれ、この略称から本町となりました。宝永二年(1705)の町割りで、大半が南門(現 追手門)に変わったため、やがて豪商が軒を並べる代表的な商人町になり、本町一丁目から五丁目と呼ばれました。


本町は元々住んでいた場所で、高校までの18年間住んでいたところです。銅屋町の五重塔に近く、年末年始は除夜の鐘が聞こえてきたものです。昔は本局と言って弘前郵便局があったのですが、瓦ヶ町に移転してからしばらく弘前本町郵便局となりました。本町郵便局なのに相良町に移転して弘前本町郵便局となっています。本局跡が取り壊された後、ケア施設になりました。そのケア施設も取り壊されてホテルに建て替え中だそうです。



