築城当初には寺町の一画をでしたが、元禄九年(一六九六)の町割帳では、鞘師町と改名されており、既に城の南側(現在の上白銀町)から移住していたことがわかります。後に南通りを上鞘師町、北通りを下鞘師町と呼称し、現在に至ります。


中央通りから徒町の標柱がある徒橋をそのまま弘前公園方向に行くと鞘師町があります。目の前にいくつかビルがありますが、ホテルニューキャッスル前のバス停奥に鞘師町の標柱があります。
その昔、弘前ねぷたが百石町を運行するコースでは、白銀町~鞘師町~百石町~東長町と行くルートがありました。今では土手町コースと駅前コースに固定されて味気ない運行となりました(>_<)