天文年間(1532~1555)の資料に『樋口』がすでに見られ、延宝二年(1674)などの岩木川の堰き止めにより、その支流であった樋ノ口川は田畑に姿を変え、弘前城下からの入作者も多かったところでした。村社であった熊野宮(現 茜町)は、熊野三社権現を模し二代藩主津軽信牧紀伊熊野那智大社の分霊を移したものです。(標柱転載)


樋の口は、つい最近まで田畑に囲まれた田園地帯でした。一昨年、標柱の近くにロックタウン弘前樋の口が開業して大規模なショッピングタウンに生まれ変わりました。隣の相馬村や西目屋村からも買い物客が来ます。