弘前の古町名標柱 覚仙町 | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

覚仙町(かくせんちょう)
慶安二年(1649)には10軒の鍛冶屋があり「かち町」と呼ばれたが、町内にあった修験の寺院の覚勝院にちなんで、元禄13年(1700)の侍町屋敷割には覚勝院前之町とされ、やがて寛政年間(1789~1801)に現在の町名に固定した。同町に住んだ国吉家・森宗家・国広家は津軽の刀匠として著名である。(標柱転載)

覚仙町周辺の標柱地図・クリックすると拡大

覚仙町標柱(一般住宅の前にあります)

一般住宅が工事中だった3年ほど前、工事の邪魔になるとのことで覚仙町の標柱が一時的に撤去されていました。標柱跡が地面にクッキリと残っていたのですが、昨年同じところに行ったら標柱が復活していました。以前の標柱はこんな感じです
覚仙町標柱