アルゼンチンタンゴ | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

日本から見ると地球の裏側にあたるアルゼンチンの首都・ブエノスアイレスには、先のブログで紹介したN.Yを観光してから行きました。ここは、1994年11月1日に一泊滞在しました。これは皆既日食に伴うツアーで、成田→N.Y→マイアミ経由→ブエノスアイレス→サンチアゴ→観測地→サンチアゴ→ブエノスアイレス→マイアミ経由→N.Y→成田という大旅行でした。さすがにツアーでも旅費が高く、60万ほど払った記憶があります。今は、とてもそんな遠くに行く余裕が無いのですが…

タンゴ発祥の地“カミニート”
タンゴ発祥の地“カミニート”

ブエノスアイレスのボカ地区にあるカミニートはタンゴ発祥の地。アルゼンチンで一番古い港町ですが、港自体には往時の活気がありません。しかしカミニートの通りはタンゴ発祥地ということで、観光客の往来が激しいです。映像は1994年11月上旬のものですが、雨が降っていても人通りが絶えない通りです。多くの芸術家が住み、彼らが描いた絵も売られています。
昔、移民たちが船を壊して屋根にしてありったけのペンキで家の屋根に塗ったので、カミニートのカラフルなトタン屋根はこんなに色とりどりなのだそうです。晴天の下ならよりカラフルなトタン屋根と壁が映えて見えたのですが…

カサブランカ
カサブランカ

夜はカサブランカというタンゴ喫茶に行きました。ここは40$でワンドリンク付き、好きにフラッシュを焚いて撮っても良いそうです。

アルゼンチンタンゴ
アルゼンチンタンゴ

アルゼンチンタンゴ
アルゼンチンタンゴ

アルゼンチンタンゴ
アルゼンチンタンゴ

アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスでは、1800年代から数多くのヨーロッパ移民が共存していました。そのいがみ合いのはけ口として、男同士が酒場で荒々しく踊ったのがタンゴの始まりとされています。これが次第に娼婦を相手に踊るようになり、男女で踊るタンゴの原型が出来ていきます。当時は、かなり下品な踊りだと非難されました。
初期のタンゴは、バイオリン・ギター・フルートで演奏されていて、かなりテンポも早かったそうです。その後、バンドネオンがドイツ系の移民によって持ち込まれ、演奏に加わってからタンゴのテンポが遅くなりました。バンドネオンは全て戦前に作られたので、今では古いバンドネオンを補修しながら使っている演奏者が殆どです。ブエノス市街では数件のバンドネオン補修屋があります。そこへ持ち込んで直してもらっています。そのバンドネオンは、音階と押しボタンの位置が合っていなくて演奏の難しい楽器です。アルゼンチンの奏者が独自のアレンジを加えてタンゴを芸術の域まで広げました。…すると下品な踊りと言うレッテルは剥がされ、独自に進化したアルゼンチンタンゴが完成したワケです♪

アルゼンチンの裏側→http://www.tangotokyo.com/message.htm?13