青森ねぶた | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

久々に津軽ネタです。
もう夏が近くなってきたので、これまで撮影した祭りも紹介します。
今日は、青森のねぶたまつりです。某国営放送のアナウンサーまでも寝豚と発音するのが気に食わなくて、本来の発音の仕方を以下に書いたので御笑覧下さい(≧▽≦)

http://eclipse.star.gs/lock/neputa.htmより一部抜粋

青森県内でも立秋(8月8日~9日頃)までは、暑さが続き、寝不足になりがち。そこで竿の先に灯籠を下げ、「ねんぷたっコ流れろ~」と唱えながら、邪悪を流し豊作を願って歩いた昔の風習が発展した…と言われています。 「眠い」を津軽弁で表現すると、弘前では「ねんぷて」といい、青森では「ねぶて」といいます。弘前に住んでいる私も眠い時は「ねぷてぇ」と言っています。 日本の祭りのほとんどは、五穀豊穣を祈願し神を祭るところから由来しています。虫送りや七夕祭など…「ねぶた」も、元はと言えば、こうした季節行事の一つで、大衆の心から生まれたものでしょう。

正徳3年(1713年)に弘前で「ねふた(nehuta)」を出した…と言う記録が残っています。その頃は普通の灯籠のようなものが、扇形になり「ねぷた」と呼ばれるようになりました。更に県内各地に広まって呼び方にも変化がついたといわれます。弘前では戦前まで“けんかねぷた”と言うものがありました。ねぷたの運行が終わったらねぷた同士を突き合わせます。けんかが終われば壊れたねぷたを岩木川に流していました。現在はそのような風習も無くなり、ねぷた絵はねぷたの骨組みから丁寧に剥がして保存します。この骨組みも来年また使えるように鉄やアルミで出来ています。現在ねぷた(neputa)と表記されて運行される自治体は弘前市、五所川原市(立ちねぷた)、黒石市、平賀町、藤崎町の五市町です(他の市町は未確認)ねぶた(nebuta)と表記されるのは青森市とむつ市です。いずれもねふた(nehuta)から 変化したものだと言われています。それはねぷたを引っ張る時の掛け声の違いで分かります。

青森は『ラッセーラーラッセラ』(凱旋ねぶた)、弘前は『ヤーヤドーヤーヤドー』(出陣ねぷた)、黒石は『ヤーレヤーレヤーレヤ』、五所川原市に至っては『ヤッテマレヤッテマレ』です。いわゆる立ちねぷたですが、これはつい最近になって復活したもので、それまでは虫送りと火祭りが行われていました。掛け声の由来は不明で、自然発生説が有力とされています。でも五所川原市のヤッテマレは不評で、別の掛け声にするかと議論を呼んでいます。立ちねぷたも余りにデカ過ぎて、観客全員が上を向いて山車を見ているのも全国ではここだけです。この御囃子を聞くと弘前と青森の囃子を足して2で割った印象を受けます。

青森マルハ佞武多会

昨年、青森市の八甲通りで撮影した“青森マルハ佞武多会”を紹介します。
結構長時間同じ場所に留まっていたので、上手くねぶた囃子を収録出来ました。ねぶた囃子の様子を聞いてもらえたら幸甚です♪

ジャガネ
青森マルハ佞武多会・蛇鐘

ミス青森ねぶた
ミス青森ねぶた