能「善界」は今昔物語、それを元にした「是害坊絵巻」を下敷きに作られた天狗物の傑作で、シテは日本の仏教界の破壊を目論む中国の天狗の首領・善界坊です。


まず雲路を凌ぎ日本へ向け飛行中の体で舞台に登場した善界坊は、大陸の名刹の僧侶達を悉く魔道に引き入れたことを自慢します。

善界坊が魔道に陥れた寺院は古代インドのアショーカ王の名を冠した阿育王山、空海が学び当時最高の密教を伝授された青龍寺、奇岩連なる廬山にある般若台でした。(天狗については前の記事「外道雑考」を読んで下さい)

その上でつまらない小国のくせに神国を名乗り、しかも仏教が盛んであるという日本を捻り潰そうと向かってくる善界坊の前に、朝日の上る青海原に横わる神の国日本が見えてきます。

日本に着いた善界坊はまず日本の天狗の親分格である太郎坊に会い助力を求めようと、都の西の愛宕山に向かいます。

橋掛り一ノ松に立った善界坊は愛宕山の景色を見回し、いかにも天狗の住処に相応しい山の姿や木立の風情に、万国共通の天狗の習性を感じて喜びます。

能楽師で言えばさしずめ地方の赤提灯街でしょうか。。

呼び出され庵に招き入れた太郎坊に、まず中国での自分の活躍を自慢し、日本でも「我々天狗の本意(仏教の破壊)」を共に成し遂げようと誘った善界坊は、太郎坊に言われ日本の天台山である比叡山を見上げると、急に弱気になり出します。

比叡山延暦寺は実に優れた寺だと語り出すのですが、ここから謡が弱吟になるのが面白いところ。

「蟷螂が斧、猿猴が月」つまりカマキリのカマで車輪に立ち向かうこと、猿が水に映った月を取ろうとして溺死した故事を引いて、自分達の望みの虚しさを語り合います。

すでに負けモードです。

そのうえ天台密教の本尊である不動明王の、魔物を滅する威力の凄まじさを思い震え上がり、せっかくこの世にありながら、救いの無い外道の身として生きる馬鹿馬鹿しさすら語り、舞台上に並んでシュンとする天狗二人の姿が面白い。

しかしそこは日中天狗の親分である二人は意を決し立ち上がり(謡も強吟になる)、善界坊は嵐を起こして一か八か比叡山に向けて飛び立ち中入りとなります。


原典では太郎坊(日羅坊)は助力をする風を装って、善界坊が仏の眷属にこてんぱんにやられるのを見てほくそ笑みます。

いくら天狗が仏教の敵であるとは言っても、その秩序を完全にひっくり返すなどと言うことは出来ないと、太郎坊は知っていたのではないでしょうか。

悪玉菌と善玉菌がバランス良く存在することで腸内が正常なように、秀才や平均的生徒や落ちこぼれや不良がいてクラスが成り立つように、与党と野党がいて政治が運営できるように、大陸は知らず、神がいて仏がいて民がいて天狗がいることで日本の社会の平和が保たれていると。

それに天狗の身で仏教界を滅ぼせる訳がないと知っているから、致命傷を負わない程度に僧侶にちょっかいを出して天狗の本分を果たしつつ、日本社会の一員として存在する道を太郎坊は選んでいるのだと思います。

そんなところに来日した善界坊は、中学の不良太郎坊君のクラスにバイクで乗り込んできた超絶不良な高校生の先輩、与党にいちゃもんつける日本K産党の助太刀に、本気で国会を乗っ取ろうと中国K産党のS近平が駆け付けてきたように、大変煙たく困った存在なのだと思います。

だから「善界」でも中入後に太郎坊は登場しません。


さて、朝廷より善界坊現るの報が比叡山に飛び、高僧が急ぎの車で山を下りてきます。

ここでワキの乗る作り物・紅無の車は作るのが面倒くさい内弟子泣かせの代物です。

激しい風雨の中の超高速の飛翔を表現しながら、逆にゆったりとスローに囃される大ベシの出囃子に乗って、大天狗の正体を表した善界坊は登場します。

この大ベシの笛の譜が、龍神など素早い神々の登場する早笛の譜の超スロー版であるというのも能の面白い工夫です。

雲に姿を隠した善界坊は「魔仏一如」、仏法を求めることは魔道に向かう道であり、逆に煩悩に従うことは仏法的に正しいと邪法を唱えつつ僧に近付きます。

大陸においてもこう呼びかけて慢心の僧侶達を魔道に引きずり込んだ、善界坊得意の手口なのでしょう。

そのままゆったりとした囃子に乗って矯めつ眇めつ僧に近寄ってみたり離れて一ノ松から窺ってみたり、立ち回りを演じますが、囃子が急調になるとずいと詰め寄り、邪法に乗ってこないことに痺れを切らして実力行使に出たかのように、雲からいきなり腕を伸ばした体で僧の車の長柄を掴みます。

直接対決感の無いスローな立ち回りは、雲の中にいることを表現しているのでしょう。

すると僧は正体見たりとここぞとばかりに不動の真言を唱え、明王を呼び出します。

引き寄せて打つの寸法です。

真言の目眩しに一度ひしゃげた善界坊の目の前に不動明王は姿を現しますが、不動自体は手を下さず、矜羯羅、制咜迦(コンガラ、セイタカ)両童子をはじめ細々とした眷属達に取り囲まれ、散々に追い回される様を舞働で表現します。

うち萎れつつ、明王や眷属はまだいいがと言い出した善界坊は、今度は日吉大社、石清水八幡宮、松尾大社、北野天満宮、賀茂神社など、日本古来の神々に神風を吹かされもじり羽根となってついに墜落します。

ここが装束の袖や天狗の羽団扇を存分に使った見どころです。

這々の体で日本を逃げ出そうとした善界坊は幕際まで行くと振り返り舞台へ戻り、かほどに神仏の加護の篤い日本には二度とちょっかいを出すまじと言い残して大陸へと退散して行きました。


原典には無い神々を登場させ、神仏に守られた神国日本を強調し、能の技法を駆使してスペクタクルでありながら天狗の悲哀をも描いた能「善界」を作ったのは玄人ではなく、足利義政の主治医で諸芸に秀でていたという竹田法印盛定です。

「善界」を見るかぎり、相当に優れた人物であったことがうかがわれます。


〜梅若定式能〜

10月20日日曜日 午後1時開演 梅若能楽学院会館

能「鉢木 替装束」梅若長左衛門

狂言「樋の鮭」野村万作

能「善界」川口晃平

指定七千円  自由六千円


外道という言葉があり



ます。

人の道に外れた存在、と解される外道ですが、この道というのは仏教の言う六道のことで、倫理観でいう人の道とは微妙に違います。


仏教の考えでは生きとし生ける物はみな六道輪廻をします。

六道とは天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道のことで、生前の行いによって生まれ変わるステージが上下するという戒めを含んだ秩序です。

人道より下はとてつもなく長い年月を苦しみ抜かねばならない世界ですが、僕らの生きる人道も喜びとともに悩み苦しみは多く、天道に生まれたとしても、永遠の存在ではない天人は、惨めな五衰の後に定まった死を免れません。

つまりこの六道を廻る輪廻は苦しみの連続であり、この輪に魂を結びつけているのが煩悩です。

火宅にも喩えられるこの輪から、煩悩を断ち切る悟りの力をもって離れるのが解脱です。

仏とは輪廻から解脱した者の称号ですから、人は解脱し仏に成る(成仏する)過程にいるわけです。


では外道とはどういう存在かと言いますと、始めから六道輪廻にすら入れてもらえない、宗教世界から排除された者達です。

六道、つまり秩序から外れたという意味で外道と言います。

この形を中世の人間社会に当て嵌めると、朝廷を成す貴族や士農工商以外、河原者や狩猟民など、古代に稲作民の作り上げた社会に同化出来なかった先住民、またはドロップアウトした稲作民をルーツとし、社会のカーストに入り損ねた人々があてられるでしょう。

武士の世の中になって士農工商と言いますが、殺生を事とした武士も元々は外道です。

そういう意味で人の道に外れ、しかもカーストに入らないヤクザ者を外道と言うのはあたっています。


能には外道を主人公とした作品があります。

鬼畜物や天狗物です。

鬼とは一般の社会の外に隠れ住む恐るべき存在の総称です。

天狗もこの範疇なのですが、鬼(例えば土蜘蛛や鵺など)が王法、つまり社会の権力秩序を乱しに現れるのに対して、天狗は仏法つまり宗教的秩序を乱しに現れる存在として造形されてきました。

王法と仏法の両輪が揃ってこそ成り立つ統治を、両側面から脅かすのが鬼や天狗つまり外道の存在です。

鬼が王法に仇を為すのは、やはり日本黎明期から積もり積もった先住民の恨みを体現するからでしょう。

では天狗とは何者でしょうか。


能の天狗物には「善界」「鞍馬天狗」「車僧」「大会」「第六天」などがあり、この第六天というのが天狗の元祖で、古代インドで釈迦が悟りを開こうと修行しているときに、文字通り邪魔をした「魔」そのものなのです。

仏教の世界観で言う大六天というステージに住んでいる魔ですので、天魔とも呼びます。

よく能の文句に出てくる「いかなる天魔鬼神なりとも」の天魔鬼神は外道ということです。

結局、手もなく退けられ釈迦の悟り(解脱)は成るわけですが、なぜ釈迦の邪魔をしたかというと、魔とは煩悩という概念の化身だからです。

天魔とは、人を煩悩の世界に引きずり込み、輪廻からの解脱を妨げる存在です。

一方子孫を残すという生き物として当然の活動も煩悩を原動力とするわけですから、僕ら生きとし生ける物達には元々インプットされており、決して根絶やしにできないのが、この魔です。

煩悩の化身からしてみれば、解脱を求め奨める人物というのは、自らの居場所やアイデンティティを破壊する恐るべき存在です。

釈迦がもし解脱に成功し、その教えを人々に弘めたりしたら、商売上がったりなわけです。

こうして古代インドに始まった天魔と仏法の戦いは、スケールダウンしながら中国、日本と展開し、「善界」の善界坊、「車僧」の太郎坊の負けっぷりとなって焼き直されていきます。

どうせ解脱なんか出来っこない人間と、かと言って全人類を魔道に引きずり込めっこないと知る天魔の馴れ合いが、この戦いのユルさを生んでいます。

この「天魔」に中世日本では、中国で隕石を呼んだ「天狗」という言葉を当てはめたのですが、更に中途半端なことに実は彼らも仏法にすがり、外道である苦しみから救われたいと望んでいます。

中世日本においては古来の神々ですら人間と同じように苦しみを受け、仏の救済を求めるくらいですから、外道でいるという不安は計り知れません。

しかし元々が外道ですから救われようがないため、やっかみ半分に無謀な挑戦をするわけです。

このやり場の無いジレンマを抱えながらもふんぞり返って出て来る天狗は、結局自分でもどうしたかったのかはっきりしないまま、秩序の外に弾き出されてしまいます。


そういう訳で滑稽味を主にした天狗物ですが、「鞍馬天狗」という能は天狗を間抜けな存在としては扱っておりません。

それはこの能では、天狗が仏法よりは遥かに与し易い敵を設定しているからです。

つまり平家です。

天狗=外道とは常に強い者に立ち向かう反体制派ですから、天下を取って咲き誇る平家はまずもって五月蝿い存在です。

しかしもしここに一人天狗のみがいたのでしたら、仲間外れにされるだけで、戦い慣れぬ武家に対して現実問題なんの行動も起こせなかったわけですが、この天狗はもう一人の外道と出会うことで、望みを叶えるチャンスを掴みます。

それが後の源義経、牛若丸です。

まずつい先ごろまで社会カーストの中に入れなかった武士、そしてその中でも平家全盛期の都で、後ろ盾も無く孤立した罪人源義朝の遺児は、二重三重の意味で社会秩序に組み込めぬ外道でありました。

直接社会の明るみに出ることの出来ない天狗にとって、牛若丸は世界に働きかける突破口に見えました。

咲き誇る満開の桜の下、咲き誇る平家全盛の世の中にいて、自らが月にも花にも捨てられるべき外道であると思い知らされる二人、そんな場面からこの能は始まります。


史実として、義経の活躍の裏には天狗達の働きがあったに違いありません。

突然歴史の表舞台に登場しながら、そのまま常勝将軍として活躍できたのは、義経が一般社会の範疇から外れた、裏街道に生きる特殊技能者達を味方に付けていたからでしょう。

素性のはっきりした武士を率いていた頼朝に対して、義経の配下はどこの馬の骨ともわからぬ者ばかりです。

そういった人々と義経の結び付きの具体例を示す「橋弁慶」は、良きボスを得んと天神へ日参していた荒法師弁慶が、昂ぶる源家の血潮を抑えきれず、鞍馬から下っては狼藉を働いていた牛若丸に出会った、運命の一日を描いた能です。

「藤戸」の盛綱が海の道を知る漁師を得て勝利を掴んだように、義経は名も残らぬ山の民、海の民、ヤクザ者、つまり外道達に守られ、武士の秩序を破る奇襲戦術で勝利を得ていたわけです。

牛若丸時代から義経という奇貨に群がり、契りを結んでいったその外道達を一人のキャラクターにまとめたのが、鞍馬天狗であると考えれば、この能も単なるファンタジーではなくなります。

そして西海四海の合戦の末に平家が滅亡すると、利用価値の無くなった義経は見放され、天狗達は海や山、それぞれの裏社会に帰って行き、加護を失った義経は衣川に散ります。

「鞍馬天狗」でもそうですが、天狗物の前シテは頭巾に鈴懸、イラタカの数珠を持った山伏の姿で現れます。

正体を表した後シテの天狗も頭の上に大きな頭巾を乗せて、山伏であることを示します。

狂言などを見てもわかりますが、中世、山伏は恐れられ煙たがられた存在でした。

山中で妖しい修行をし、そこで身につけたと称する法力を笠に、里に下りては横暴を働いた者が少なくなかったからでしょう。

正式な仏教ではない邪法を奉じ、超自然的な力を誇り、法制度に縛られることなく道無き山野を放浪する当時の山伏は、天狗と同じ外道であり、その姿は目に見えない天狗を造形するときの手本になったのだと思われます。

そして胡散臭い空威張りの後に撃退される狂言の山伏物は、能の天狗物と同じ構図でできています。

民衆はそれを見てうさを晴らしたのでしょう。


平家滅亡とともに、再び社会秩序に身の置きどころのない外道となった義経が、山伏に扮して落ち下ったのもゆえ無きことではありませんでした。

歴史とは、名を残さぬ外道たちの働きが形作る物なのかもしれません。

説話や芸能の描く世界を裏返してみると、彼らの動きが透けて見えてきます。




〜梅若定式能〜

10月20日日曜日 午後1時開演 梅若能楽学院会館

能「鉢木 替装束」梅若長左衛門

狂言「樋の鮭」野村万作

能「善界」川口晃平

指定七千円  自由六千円


中国の天狗のドン善界坊が日本の仏教界を滅しにやってくるというこの娯楽大作について、天狗、山伏、、その他の能と絡めつつ、実演しつつ、ちょっぴり深くお話してみようと思います。

当日、善界坊に使う巨大ベシミもお見せいたします!

お誘い合わせの上よろしくお願い致します。

先日、久しぶりに末広亭へ行き落語や演芸を見てきた。

何というか、今となっては寄席とは、我々がどういうメンタリティを持つ民族であるかを思い出させてくれる記憶装置になっていると思った。

そこで繰り広げられる芸の根本には、まずもって寿ぎがある。

寿ぎとは、我々が八百万と呼ぶ自然界を巡らすエネルギーを、人間生活の領域に有用な形で分けてもらうため、芸人が翻訳して観客に施す、媒の術である。

山のエネルギーを人の住む里に浸透させる媒が里山であるとすると、芸人とは神と人との両方にまたがって足を置いた里山的存在である。

里山と人の暮らしの媒となるのが庭であり、庭と住まいの媒となるのが縁側である。

住まいから庭も縁側も失い現代日本が忘れてしまった寿ぎの痕跡を道しるべに、僕の心は何とも懐かしい里山に遊んでいた。