第五回  こがねい春の能「野守  黒頭」が明日、2月23日(金・祝)に迫りました!
まだチケットございますので、ぜひともお越しください!!
くどくど書いてますが、「野守」は最高のエンタメ作品ですので、初心者の方もぜひ!!






「野守」について
世阿弥の先輩たち、大和猿楽の役者は興福寺や春日大社など奈良の寺社に仕え、今で言う節分の豆撒きの鬼役を演じる身分の無い者たちでした。
その追儺の儀式にて、恐ろしく勢いある鬼を演じるとともに、払われて逃げて行く際の滑稽な演技もレパートリーであり、鬼のものまねのバリエーションを流用して彼らは演劇を創始し、それは能と呼ばれました。
美少年として足利義満に気に入られた頃の、世阿弥の幼名が一説には鬼夜叉であったのも、大和猿楽の根本に鬼というものがあったからです。
そうして大和から都へ進出した世阿弥でしたが、自身の芸の源流にある鬼のものまねを否定し出自を消そうとしたのは、時代や上つ方が求めた幽玄という美意識と鬼とが、あまりにも合致しないためでした。
その世阿弥が活躍の場を奪われ零落してゆく、悲劇的な色彩を帯びた後半生にいたって、敢えて鬼の能を作ったのが「野守」だと言われます。

「野守」あらすじ
春日野を訪れた回国修行の山伏の前に野守の老人が春日の風情を愛でながら現れる。
老人は春日野の野守の鏡と呼ばれる泉のこと、昔この野に住んだという鬼の持つ鏡のことを語る。
また、雄略天皇が狩りの折失った鷹を、野守が水鏡に映して見つけた歌物語を語り昔を懐かしむと涙を流す。鬼の持つという本物の鏡を見たがる山伏に、それは恐ろしい物であるから、鷹を映した水鏡を見るべきだと言い置いて、野守は塚の内に消えて行く。
夜更け山伏が行をして待っていると、老人が姿を消した塚から大音声が響き、大きな鏡を持った鬼が現れる。
恐れる様子を見て帰ろうとした鬼を呼び止めた山伏に、鬼は天上界の際、東西南北の際を鏡に映し大地の底の地獄の有様を見せると、地面を蹴破って地底に帰って行く。

野守の老人が守る野は単なる原っぱではなくて、天皇家が鷹狩りや薬草狩りをする、ある意味神事を行う禁足の聖なる区域でした。
そういう場を管理出来るのは普通の人間ではなく、やはり霊的な世界に触れうる、カースト外の特殊な人々でした。
その身分や特殊な能力、職掌は、一般社会の外にいて芸能を事とした、世阿弥たち猿楽役者と似通うものがあります。
また、春日野に隠れ住む鬼というのも、鬼を得意とした大和猿楽という出自を考えれば、世阿弥の面影を宿した存在と言えるかもしれません。
思うに野守の老人、野守の鬼は、世阿弥の自画像として造形されています。

「野守」の前半には、野守によって3種類の「野守の鏡」が語られます。
一つは野守が朝夕に影を映す野中の池、二つめはむかし春日野に隠れ住んだという鬼神の持つ鏡、三つめは雄略(天智)天皇の鷹狩りの逸話に登場する、行方不明の鷹を映し発見するきっかけとなった池。
世阿弥の能には水鏡に我が姿を映し、若く美しかった昔を思って涙する老人がよく出て参りますが、一つ目の野守の鏡は正にその舞台装置となっています。
野守の老人の懐旧の言葉を聞いていると、ただ失った若さを惜しむだけではなく、かつては身分の無い身でありながら、帝の思し召しを受け、また、自らが管理するこの野が、上つ方の盛んに訪れる場であった頃の、遠く過ぎ去った栄光への涙であることがわかります。
二つ目の鬼の鏡の逸話では、隠れ住みながらも鬼として存在し得た昔が語られています。
三つめの鷹を映した水鏡は、一つめの野守の鏡と同じ池だと語られますが、その水鏡越しに誰も見つけ得なかった鷹を野守が見つけた、これまた昔話です。
鏡というのは、この世の本質を虚像として映し見せる道具です。
この鷹を見つけた逸話には、野守の老人に仮託して、誰も知り得ない、見得ないものを、世阿弥が人々に虚像として見せていた自負が描かれていると感じます。
それは能の秘密とでも言いましょうか。
後半、深夜にいたって塚から現れた鬼は、その手にした鏡に、仏教世界の天上界の際から自らの住む地下深く、地獄の有り様を映し出します。
相手が山伏でしたから、山伏の信仰する不動明王の眷属八大童子、五大明王の一尊降三世明王を見せたのでしょう。
恐らくこの鬼の持つ浄玻璃の鏡は相手の求めに応じて、森羅万象をある程度映し見せることができるのです。
身分の極みにある人々から漁師、木こり、海女乙女、神々から鬼まで、あらゆる存在を舞台に乗せ、その物語を虚像として表現し得る、それは世阿弥にとっての能、この野守の鏡とは世阿弥の能のメタファーなのだと思います。
パイオニアとして誰も知り得ない能の秘密を知っていて、筆の上でも舞台の上でも高く深く万物を表現し得るのだという自負。
ただ、都の貴人たちに求められて幽玄を追求した役者としての全盛期、賞賛のなか能を舞っていたのはいにしえのこと、ふるさとに帰ってそんな昔を水鏡に懐かしむ、世阿弥の姿が見えるようです。

普通の「野守」は赤頭に唐冠(中国風の冠)を被りコベシミを着け、小袖の上に法被という大袖の衣をまとい、左手に鏡、右手に扇子を待ちます。
これは「鵜飼」の後シテと全く同装で、閻魔大王など地獄の裁判官を表現しています。
一方「黒頭」の小書が付くとその名の通り黒頭になり、唐冠を被らず、法被を羽織らずモギドウの姿で、扇子を持たずに登場します。
冠も扇子も威儀を正す道具ですので、普通の「野守」の後シテが正装をした裁判官を表現しているのに対して、そういった物を廃し、能の約束事で半裸を表すモギドウ姿の黒頭の後シテは、褌一丁で亡者を懲らしめる地獄の鬼(獄卒)そのものを表現しています。
同じ「野守」でも、鬼の性質がずいぶんと違ってしまうわけです。