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もし、日本人の生み出したデザインで最も美しいものは何かと問われたなら、僕は箸墓古墳を挙げる。
古墳時代の到来を告げる最古級の巨大前方後円墳でありながら、隅々まで無駄を廃し研ぎ澄まされた幾何学美は、何の手本も無く作られたとは信じられないほど洗練されている。
後円部の直径とほぼ同寸の撥型に広がった前方部のまとまりの良さ、四段築造の前方部墳頂から後円部墳頂の土壇(埋葬施設)に伸びるスロープ、後円部と前方部をつなぐくびれ部の角度を変えた面取りの心憎さなど挙げればキリが無いが、とにかく世の築造物に似たものが無く、自然物にも全く似ていない箸墓のデザインは謎である。
箸墓は奈良県三輪山のふもと、纏向地域にて作り出された墳形・纏向型古墳に続く最初期の前方後円墳に属するが、驚くべきことに遠く千葉県にも纏向型古墳が存在する。
それが神門古墳群である。
後々隣接して上総国国分寺が作られることからも、一等地に造られたことがわかるこの古墳群(3、4、5墳)が、前方後円墳のデザイン発生の、謎を解く鍵になるかもしれないことはよく知られている。
3号墳、4号墳は昭和の開発によって失われてしまったが、現存する5号墳と過去の調査記録との比較からわかるのは、円墳を取り巻く周濠を渡るための土橋が徐々に前方部へと発展した可能性があるということだ。
この発展の先に箸墓の美しい撥型の前方部があると見ることができるかもしれない。
後々改葬の容易な横穴式石室が一般的になるが、初期古墳の埋葬施設は竪穴式石室で、基本的に後円部墳頂中央付近に造られた。
つまり、まず円墳があったはずであり、これは墳墓のデザインとしても想像しやすい。
王の眠る円墳を現世から隔絶された霊界として荘厳するために、周濠を作ったのもよくわかる。
では土橋であった前方部が撥型に発展した理由はどうであろう。
能舞台には現世(本舞台)と異界(幕の向こう)とを渡す、橋掛がある。
この橋掛は舞台に対してわずかに斜め後方へ取り付けられ、沿いに立つ三本の松は幕に近づくほど低くなる。
そこには視覚的な遠近の錯覚を生む工夫がある。
限られた空間の中で異界をより遠く見せ、キャラクターの登場を、より遥かな世界からの来臨と感じさせるための構成である。
この限られた空間を用いてなるべく異界を遠く見せる視覚的操作の工夫が、前方後円墳のデザインにもなされているように思う。
神門古墳群を参考に、葬送の際、王の棺はまず周濠に渡された土橋を通って、埋葬施設である円墳に向かうという基本的な形があると考える。
そしてその王を葬る霊界である円墳をより大きく立派に、より遥かに見せるためにどうするかと考えたとき、能の橋掛のように遠近法を使うのではないかと思う。
土橋の中央、前方部の中心を墳頂まで上り、後円部を見たとき、前方部が後円部に向かってくびれていく。
また、墳頂のスロープもくびれに向かって一度下り、また円墳墳頂へ上る。
この構成によって、遠近法的に円墳は実際以上に巨大で、そして遠くにあるかのように感じられる。
僕も古墳に上るのが好きだが、築造時の箸墓前方部から眺めた人々は、荘厳さに身震いしたであろうと想像する。
もしこの遠近法的効果が意図されたものであるならば、それは王の威徳の大きさと、その永遠性を空間として表現する試みであったのかもしれない。
限られた空間を最大限に活かした視覚効果によって聖と俗を隔てる、前方後円墳と能舞台に通底する空間認識は、確かにあると見る。
いまも変わらぬ、土地の制約が磨いた日本的美意識の核にあるものだと思う。
その美的構成が実用を超えて極限まで推し進められた結果、箸墓に見るように前方部はより高くなり、やがて陸地から切り離され、水に浮かぶ鍵穴型の墳墓が全国に広がっていった。
追求が飛躍する、非常に日本的なガラパゴス現象であるように思う。
#古墳 #前方後円墳 #能 #能楽






