野口久美です。

 

マイヒストリーの続きです。

 

 

【マイヒストリーを最初から読みたい方はこちら】

 活発な女の子、夢はお絵描きやさん【マイヒストリー① 幼少期】
 
【前回の記事・マイヒストリーはこちら】

就職、結婚、そして妊娠と退職【マイヒストリー⑩

 

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2010年、長男を出産。

 

その時まで、正直いうと、赤ちゃんや子供が苦手だった私。

 

子供のためだったら命もかけれる、という言葉を耳にするたび、そんな風に感じることがあるのかなぁと思っていました。

 

そんな冷たい私に、母親がつとまるのだろうか・・・

 

つわりが酷かったのは、そんな不安もあったからかもしれません。

 

 

はじめての子育て。

 

人と、こんなにもずっと一緒にいるって、はじめてのことでした。

 

自分の子供が生まれてはじめて、赤ちゃんが可愛いって思うようになりました。

  

 

 

帰りはほぼ午前様だった生活から一転、1日家で過ごす日々。

 

ひなたもSEだったため

子供が起きる前に出社し、子供が寝てから帰宅する毎日でした。

 

 

 

周りに友達もおらず、家族以外誰とも会わずに引きこもって生活をしていました。

 

やっと社交的になりはじめていた私が、また引きこもるようになりました。

 

 

  

ひとりで育児を完璧にしなければならない。

 

専業主婦なんだから、家事も完璧にしなければいけない。

 

という思い込みにより、ひとりになるといつも自分を責めるようになっていました。

 

 

 

「1日家にいて何してるの?」

「暇じゃない?」

「まだオムツ履いてるの?」

「なんで泣いてるの?」

「いいよね、3食昼寝付きで」

 
周りからの何気ない一言が心にグサグサきて、精神的に滅入っていました。

 

 

 

実家は助けてくれる環境にありましたが

 

私が抱っこしても泣いて寝ないのに

母が抱っこしたら寝る・・・

 

だんだんと「母親失格」と思うようになっていました。

 

 

平日は、ひなたも疲れていて

帰ってきたらテレビをみて、無言で、ボーッとしている時間。

 

それが、ひなたのストレス発散の時間だと分かっていたから、気に触らないように過ごしていました。

 

 

 

いつもおちゃらけているひなたが無口の時は、結構、怖いですので(笑)

 

ひなたに負担をかけたくなかった。

 

私は一日家にいるんだから、疲れて帰ってくるひなたに、負担をかけちゃダメ。

 

平日は、絶対に。

 

  

 

嫌われないように、一生懸命やってました。

   

我慢していると思ってなかったけど、我慢していたから、途中から壊れはじめました。 

 

 

 

夜、子供が寝ている時に車の中で泣きました。

 

少しでもひとりになりたくて、家を出たくて、ひなたが帰ってくるのと入れ替わりに、気を紛らわすために遅くでも開いている本屋さんに行き、育児書を読み漁りました。

 

 

私の何が間違ってるの?

何がいけないの?

 

って。

 

答えを探し求めました。

 

 

 

昼間は

ひとり遊ぶ我が子を見て、こんなに可愛いのに、何でこんなにイライラするんだろう。。って自分を責めました。

 

私なんか、いる意味あるのかなって、思う時もありました。

 

でもそう思う時に限って

息子は私を求めてくれました。

 

ママ、ママって。

 

 

この子は

私がいなくなったら生きていけない。

 

この子にとったら

私は必要な存在なんだと、思わせてくれました。

 

 

息子は私に『生きてるだけでいいんだよ』ということを教えてくれました。

 

 

 

土日休みだったひなたは、土日はよく子供と遊んでくれて、お出かけにも連れて行ってくれていました。

 

 

土日はいつもの優しいひなた。

週末がいつも待ち遠しくて、たまりませんでした。

 

(別に平日機嫌が悪かったわけじゃないけどね、私が勝手に察知していた)

 

 

 

ひなたは、子供が大好きです。

 

子供と一緒に遊んだり、同心に返って遊ぶ人です。

 

 

平日の気を紛らわすためにはじめたのが、アメピグでした。

 

元職場の仲間が

夜、アメピグで集まって、遊んでると連絡をもらい、アメブロに登録しました。

 

夜になると、チャットで遊んだり

家を作ったりして、自分の時間を作るようになりました。

 

 

 

昼間は、よく母が遊びに来てくれていました。

 

片道、2時間半かけて、

しょっちゅう来てくれていました。

 

私は、お買い物が好きだったので

よく母と近くのイオンに子供服を見に行っていました。

 

 

 

「この洋服、デザイン好きなんだけど、なんでここにこの柄入れるかなぁ」
 
「せっかく可愛いのに、このポケットいらなくない?」

 

そんな細かいことをブツブツいう私対して、母がひとこと言いました。

 

「自分で作ったら?」

 

 

母のその一言で、

家にいるのが好きだった私は、何か家で楽しいことをやりたいと思うようになりました。

 

布集めとお洋服は大好きだったので

母からミシンをもらい息子のお洋服を作るようになりました。

 

 

裁縫をするのなんて高校の家庭科以来。

 
ボタン付けもやらない私でしたが、子供服をリメイクして作ったり、洋裁の本を見ながら作ったり。楽しくてたまらず、夜も寝ないで作るようになっていました。

 

楽しいことに意識を向けたからか、

これまで精神的におかしくなることもちょっとずつ減り、いかに自分の時間を作るか にシフトしていきました。

 

 

 

そんな中、長女を妊娠・出産。

 

手作りは、長女出産と同時に加速。

 

 

女の子の洋服作りは、さらに楽しかったです。

 

また、同時期に息子の幼稚園グッズを作ったことで、さらに手作りにハマりました。

 

 

 

ここから、私の起業への道が始まります。

 

ネットショップ運営開始、走り続けて違和感を感じた人生の転機【マイヒストリー12】 へ、つづく。

 

 

 

 

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