吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD 2月に再度ラジオをやる事になった | meeheeの全部だきしめて

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拓つぶが更新されていたのですが
昨日削除されていたので
ラジオの話が流れたかと心配でしたが


また復活してます。(*^^*)
ラジオ再び
http://153-0051.com/log_takuro/


念の為にバックアップ

2月に再度ラジオをやる事になった
前回、時間の関係で話しそびれた
「僕が本当に1曲目から最後の曲まで
心を奪われ続けるステージを演ったアーティスト」
たった1人だけ存在するのだが
実はその人は・・うん・・ま・・意外かな

日本の古くからの慣習となっている行事
世代を越えて引き継がれて行くべきもの
と同時に時代に合わなくなっているのでは?
と感じるもの・・
(今年の正月強く感じたのである)

そして今や「大阪で歌わないとアウトロ終われない」
という、我ながら「自分らしくない決断」のもと
そして「ついにアウトロを終え、ギターを置き
そこから降りる時」は2度と来ない!事を決意し
さて、大阪と名古屋だけ新幹線で通れば
「それで良し」とするか
もっと他の会場へも足を運ぶ事が出来るか

せっかく「大阪が火付け役」になって
時を置かず(こんな吉田拓郎も珍しい)
エンディングを決心しようとしているのだから
何としても「これ歌ってもらいたい」
ってリクエストがあれば
(吉田拓郎、作詞・作曲に限定してだが)
メール・ハガキで送ってほしい
ただし・・例によって、あんまり古い曲は
よほどの事でも無いかぎり、やる気が起きない
(去年の恋の歌はスカのアレンジで素敵に蘇った)
まあせめて80年代以後であれば・・って感じか

すべてのアウトロが終了して僕は何をしたいのか?
もちろん「音楽はやめない、倒れるまでギターの
そばにいる」は基本だから新曲&アルバム作りは
永遠のテーマである。
同時に僕は自分が上京して来た頃の新鮮な感覚を
自分の脳に蘇らせたいのだ
難しい事ではあるが「無垢な心根」だったあの頃
音楽に挑戦していた自分を可能な限り思い出して
(もちろん、あらゆる歴史が邪魔をして壁となるだろう)
そこから生まれて来るであろう新しい曲を
気心知れたミュージシャン達と演奏したり
その「音」を届ける事も考えたい
(カセットの話が「ここで出てくる」のだ)
あるいは「秘密裏」に生でライブするとして
そこには「あらゆる先入観を持たない」
客席を用意したいと考える。
小さな場所でいいのかも知れない。
そういうサークルって言うか・・
良い言葉がみつからないが・・メンバーか?
まあ、そんな空気感の新しい空間は可能か?
スタッフとミーティングを重ねている

さて番組は何度も言うがリスナーからの
メール、ハガキが中心であればあるほど楽しい
1:日本の慣習(我が家の慣習)これは今後も
続けたい。
2:日本の慣習(我が家の慣習)これは出来るなら
もう止めても良いと思っている。
3:拓郎ライブ「アウトロを君と一緒に」
で演奏してもらいたい曲を1曲リクエスト。
メール、ハガキ、そして長くて途中で疲れる便箋でも可。

ニッポン放送「ty@allnightnippon.com」
〒100-8439 ニッポン放送
「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD係」
にて待っています。  拓郎。