男女機会均等法

 

 

 

   今日は朝から晴れて気温が30度を超えてじっとしているだけでも汗がしたたるような暑さになりました。
   散歩道には紫陽花の花が色づいてきて早くも梅雨の到来を感じさせます。蒸し暑い日々も明るい花色を見ると元気を貰えます。

 


   

   ドイツアヤメも見頃を迎えていて上品な紫色の花が素敵です。
   木に咲く花のなかで一段と目立つのがブラシの木です。文字通りブラシのような真っ赤な花が咲き、先端は金色に光っていて華やかです。

 


   

 

●男女機会均等法施行から今年で40年。
   その間女性の社会進出が進み多様な人材や働き方が生まれ、世の中は大きく変化しました。
   その変化を最前線でみてきたのが厚生労働省元事務次官の村木厚子さんです。
   村木さんに話を伺った番組でのインタビューです。
   
●「働く女性」「母親」として見た社会の変化
   村木さんは二人のお子さんからの質問に
「あたたたちは将来は働くお母さんになるのかならないか聞いたことがある。上の子がちょっと考えて“多分働くと思うよ”早く帰る努力はするけどね」と言った時、正直ほっとしましたね。ああいう生き方は嫌だって思われていたら結構辛かったと思う」

   1978年旧労働省に入省した村木さんは結婚出産をへながら、男女雇用機会均等法の定着やセクハラ対策に尽力しました。
   
●働く女性、母親として村木さんが見た40年
   39歳で「男女共同参画基本計画」の策定に携わり、さまざまな部署を経て事務次官まで務めました。
   
   しかし、華々しいキャリアは女性が当時担うことが多かった補助的な業務から始まったといいます。
   
「私が就任した頃は均等法はなかったので、出社した1日目に自分の上司である係長から“君にお茶汲みをさせるかどうかで、課を二つに割る大論争が昨日の夜あった。一生懸命闘ったんだけど負けてしまったので申し訳ないがお茶をくんでくれ”と言われて。

均等法ができた背景にはひとつは国際条約女子差別撤廃条約があった。もうひとつは“均等法を作ってください”と山のようにハガキが労働省に当時届いていた。一人一人が声を上げる。それは政策を動かすこともある。声を上げる勇気がいるが当事者でない人は気づきにくい」

●法律施行から40年
   会社はどこまで変わったのか。
   福井県にある会社で社員65人中女性が13人の設備工事会社。7年前に現場で働く女性社員を採用したことをきっかけに制度を整えてきました。
   そのひとつが親子出勤制度です。
   
   子どもの年齢を問わず誰でも利用でき、仕事の合間で親が交流することもできます。
   
   ほかの職場だとあまり子どもを連れていくのは聞かない。
「学校が急に休みになった時に“子どもがいるから”と言ったら一緒にくればいる」

   さらに定期的に女性社員の声を聞き、環境つくりに生かしています。
   例えば、男子ロッカーを女子ロッカーに変えて使っています。
   
●女性社員は年々増え、業績アップにもつながったといいます。
   設備工事会社社長の川岸康弘さんは
「人がどんどん入ってくるような会社になってきた。女性がこの建設現場でも働けるという雰囲気が出てきたのは建設業界のイメージアップに繋がっている」

●時代
   村木さんが子育てもして忙しかった時代と今の時代とまた少し違っているのではないかとの質問に
「女性が働くことがだんだん当たり前になってきたが、やはり職場の中で管理職とか役員に女性がいますかといったらまだまだ少ない。
   また職場の中でハンディというか、壁がまだ残っているかなというふうに思う」と応えました。
   
   厚生労働省の調査では女性の管理職が男性に比べて少なく、全国の従業員10人以上の会社で課長級以上に管理職が占める女性の割合は2024年10月時点で13.1%です。
   こうしたなか改正女性活躍推進法が施行され、女性管理職の公表が従業員101人以上の企業に対してあらたに義務づけられました。
   
●制度やルールは整っているがまだ改善の余地があるか?
   その質問に村木さんは
「周りも理解してくれないといけない。“女性が育休とります”と言ったら当たり前のことになっているけど、男性が育休取りますといった時に「えっ」という職場がまだ残っているかもしれない。男性の暮らし方、人生の過ごし方、時間の使い方もやっぱり変わっていかないと、本当の意味での男女平等はできない。なかなか政策制度は変えられないので、時間がかかっているのかなという気がしています。

子どもがいる女性といない女性の間も難しいと思いますが、世の中には女同士の軋轢みたいに言われますが、誰かが産休・育休で休んだら、その周りの人がカバーしなきゃいけない。
組織がその穴を埋めなきゃならないのに、職場のたまたま周りにいた人に全部背負わせる。それをやったら休んだ人は居心地が悪いし、周りの人はやはり不満がたまる。
だからそれは休んだ人が悪いのではなく、組織がちゃんとしていないといけないと思う。」

●いまでも思い起こす言葉
   働く女性として、母として社会の変化を見てきた村木さんが心に残っているのは
「労働省で「婦人週間」をやっていて、そのポスターと標語を作りましたが、当選した標語を作ったのは1987年入省の均等法1期生の女性でした。
   
   標語は「いま個性が性を超える」でした。
   
「一人一人の個性が大事にされて、個性の発揮にとって性や国籍など色々なものが差別にはならないようにという標語が当時は本当に新鮮で私は今もすごく力を持った標語だ。今なお輝きを失っていない。突き詰めていくと一人一人が自分の人生をどうやって作っていくのかをきちんと選択できるようにすることだ思います」

●個性が性を超える
   この標語から40年。今聞いても古くさくない表現だと感じます。
   この標語から40年。世の中は変化したか村木さんに聞いたところ、
「当時より少しだけ多様性が進んだ。こうだろうと判断しないで、本人がどう思うか聞くようになった。大きな声を上げるのが難しくても、独り言でもいいから声を上げていかないと世の中は変わらない」と言っていました。

   一人一人の意識の変化で女性が働きやすい環境を作るために声を上げていく必要があると思います。