ネタ元は


田村やよひ 元厚生労働省医政局看護課長 さん

http://ameblo.jp/med/entry-10030115593.html#c10045797793


です。



良くぞこんな文章見つけられました。


感服。


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田村やよひ(高17回)

看護一筋40年

 榛原高校を卒業して四十年が過ぎた。私たちは「団塊の世代」といわれて久しく、まもなく大量退職の時期を迎える。ところが私は今年の9月1日に、7年余りの厚生労働省医政局看護課長の職から国立看護大学長へと異動し、定年が5歳延びてしまった。少子化時代にもかかわらず、看護界では大学が増加し続けているため、60歳以降のんびりと暮らせるのは難しいだろうと感じてはいたものの、とうとう現実になってしまった。

  中学・高校時代に描いていた将来の夢は、看護師、教師、遺伝の研究者などいろいろあったが、結局、看護の道を選んだ。一口に看護といってもその領域は広い。私は2年半の短い臨床看護を振り出しに、その後は筑波大学などで看護学教育・研究に長くかかわった。今後も看護大学での管理運営、教育研究が主な仕事なので、子どもの頃の夢は嶺域こそ違え、ほぼ実現できた。このような道を歩めたのも、担任であった大久保健直先生の 「東大の看護学校を受験したらどうか」 の一言があり、それが契機となって私の世界が拡げられたからだと感謝している。

  ところで、唯一自分の将来像になかったのは、中央省庁での行政官の仕事だった。昭和40年ころの榛原では、このような仕事はイメージしにくいからやむをえない。今その仕事を離れて思うことは、何とやり甲斐のある面白い仕事だったか!ということだ。パワーのある国会議員や関係団体などと協力・調整をしながら、望ましい看護制度や質の高い看護を国民に提供する仕組みづくりに貢献できたと思っている。平成14年春には、驚いた人もいただろうが、一世紀近く使われた 「看護婦」の呼称が「看護師」に代わった。この仕掛人の一人は私だ。また、平成16年の看護師や准看護師は産婦の内診をしてはいけないという通知は、一部の産科医からは今も恨まれているらしい。

  今年6月には、保健師助産師看護師法の一部改正を含む医療制度改革関連法が国会で成立した。行政官としては、これを自分の最後の仕事にすると二年前から決めていた。いつどのように職業生涯を終えるかということは、とても重要な課題だが、また数年後に悩まなくてはならない状況を抱えてしまった今日この頃である。

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>一部の産科医からは今も恨まれているらしい。




恨まれているのは大部分の産科医、


だと思いますが、


臨床経験2年半しかないのでは


仕方ないですね。




保健師助産師看護師法の一部改訂


はこの方の


行政官として最後のお仕事


だったそうですから、


責任はこの方にある、ということです。






天下って「国立看護大学の校長」


ですから、


筋金入りですし。








こういう方が


日本の医療の方向性を決めているかと思うと、


改めて


寒気というか、


あきれるというか、


もうだめだ…、


といったあきらめに似た感情が沸いてきます。








こういう方々には


何を言っても無駄なので、


さっさと逃散、


これだけが対応策なのでしょう。