Talent and Effort | Honolulu Music Society byなかじー

Honolulu Music Society byなかじー

出自は日本生まれの日本育ち。
米国籍を取得してハワイに在住する音楽家であり実業家。3児の父。

今までの日本人には発想出来なかった独自の視点と解釈を元に展開されるちょっとだけ凄いブログ。
更新不定期。

ぁ​Aloha!

今日も今日とて…



やはり1日3廻しのライブって拘束時間は長いし昼間と夜ではセットリストも変えなきゃならないので大変っちゃ大変ですが音楽を演奏してお金が稼げるわけですから贅沢は言えません。お金持ちの主催だとチップもたくさん貰えるしね(笑)


さて今日はね、ギター談義です。ギターってもギターそのものではなくてですね『ギターを弾く』ってことについてのお話しをします。


まずお断りしておくと、僕自身はギターを弾いてお金を稼ぐっていう仕事をかれこれ10年以上やって来ていますので、人によっては僕の事を『どれだけ才能溢れる人間だ』と思われる方も居られるかもしれませんがそんな事は全くないと思ってください。


​才能?何それ美味しいの?


音楽的な才能とかセンスって物が『ある』か『ない』かで言えば僕は明らかに音楽的な才能が『無い側』の人間です。


僕は仕事(ライブ)がある日は勿論、ライブがブッキングされていない日でも毎日必ず6時間はギターを弾く、というような生活をかれこれ10年以上続けているわけですが、それはなぜかというと僕には音楽的な才能が乏しいからなんです。


音楽的な才能が乏しいから曲落としにも時間がかかるし、覚えても新しい曲を覚えると古いレパートリーをどんどん忘れていくし、ミスをしないようにするための反復練習をひたすらやらなきゃいけないし、エンターテイメントなのでただ弾けばいいっていうわけでもないので余裕ある演奏に仕上げなくちゃいけない。


そういうのを始めから楽に出来るくらいなら才能があると言えるかもしれないけど僕は努力しないと無理。


じゃあ逆に音楽的な才能やセンスに恵まれているなら毎日必ず6時間弾かずに済むのか?と言えば、それもおそらく違うのかもしれないなぁと思ってみたり。


なんとなれば、


僕にもし本当に才能なんて物が有ったなら、音楽以外の他のことなんか何ひとつ構わずにギターを弾くことにひたすら夢中になってしまい、気がついたら夜中、気がついたら夜明け、気がついたら夕暮れ時、と寝食も忘れて何日も風呂にすら入らず、ひたすらにギターを弾いて音楽を作り、そしてまたギターを弾いている……というような暮らしを延々と続けていたであろうと思えるからです。


ぶっちゃけ1日6時間程度、なんていうのは世界的に活躍するような本物のギターヒーローみたいな人からしたら『プッ』て笑われるような時間でしかないはずなんですよ。


​才能がある人は熱中してしまう。


エレキギターに限らず、ですが……なにをさて置いても夢中になってしまう。


夢中というか熱中。熱中というか無我夢中。


そういう事が可能なジャンルって才能を開花させるジャンルだと思うんですよ。音楽に於いては毎日毎日8時間も10時間もギターを弾き続けられるような人達だからこそ、人々からの憧れの対象になるに相応しい『ギタリスト』になれるわけです。


だから本当にギタリストになりたいなら憧れのギタリストと同じギターを使うだとか、同じ機材を足下に揃えて同じアンプに同じケーブルでプラグインするとか、そういうんじゃないんですよね、僕的には。


同じ熱量でギターを何万時間も弾けるのか?ってところで近づくしかない。1日10時間毎日ギターを弾いて365日たては3,650時間。それを10年続けてやっと36,500時間です。『俺にはロックしかない、ギターしかないんだ』という人がコレをやってなかったら笑われるレベルかもしれません。


ソレをやれるのは先ずは音楽に夢中になれる人、エレキギターを弾くことに熱中出来る人なんじゃないでしょうか。


​理解されない理由。


とはいえね、僕が言うような事ってまずわかってもらう事は無いんですよ、日本ではまず。

日本では形から入る、見た目から入るっていうのが何より重んじられるから。


日本でエレキギターが流行ったのってVenturesのマネをしたがる少年達が大勢いたからです。

『音楽』が第一義ではない。


だからこそ『見た目』が大切で、演奏の腕前以上にホンモノのエレキギターにいかに似ているモノを持っているかが当時は大切だったんだろうと考えられます。


往時のエレキギターというもののヒエラルキーを見ると、


①モズライト

②フェンダー

③ヤマハブルージーンズモデル

④モズライトそっくりなエレキ

⑤グヤトーンやテスコ

⑤ビブラートユニットの付いたマイナーなエレキ

⑥ビブラートユニット無しで1ピックアップのエレキ


という感じが『エレキ乃若大将』の場面の至るところから見受けられます。

ヒエラルキー上位のギターを持つ者は『主役』であり、下位のギターを持つ者はモブ。コレおそらく現実でもそうだったのではないですかね。



しかしながら腕前があってヒエラルキー下位下層のギターしか持っていない人はライブの時に腕前は無いのに上位ギターを持っている子からいいギターを借りてステージに立っていた。そう、鮎川誠さんのパターンですよね(笑)


そういう風に『いいギター』を持っているだけの人は界隈で凄腕とされる人達に使ってもらうことによって持ち主としての承認欲求を満たせたのかもしれません。こういう文化が日本にはあるわけですから弾けようが弾けまいがいいギターを持ってるやつがエラいという構図は出来てしまうわけで、僕なんかが言うことは理解されなくて当たり前なわけです。



​なかじーのヒーロー達。


かく言う僕も楽器の演奏者である以上、もっと自分の表現を磨きたいという欲求は常にあってそこに何かしらの手本と言えるものを求めたい気持ちはある。だけど多くの人と違うのは、それってギターヒーローではないという部分が決定的に違うんですよね。

ハナシするより観て、聴いてもらう方が早いので出来たら視聴してください(ヘッドホン推進)





こういうのを聴くと僕はもの凄くエネルギーを貰えるんですよ。


だって彼らが手にしている楽器はどれも僕が使っているEpiphoneよりもはるかに粗末なものであり、楽器としての機能は劣ったものばかりですよ。


でも彼らはそれできちんと自分なりの音楽というものを成立させているし、おそらくそれを聴く人を純粋に愉しませることが出来るわけじゃないですか。


コレは彼らが貧しい環境下で生まれて生きて来ており、その中で逞しく娯楽と快癒に帰する音楽表現を磨いて来たからなわけで、


比して僕らは恵まれた環境で、やれ『あれが足りないコレが足りない』と自分が目の前にある楽器ではいかに自分を満足させられる音楽が出来ないか?という理由を、アレコレと考え、それを理由としてさらに新しいモノを欲しがるっていう事を繰り返しているわけです。


僕がもし、

彼らのような環境下に生まれた人間だったとしたら、彼らのような音楽表現を磨いて音楽で人を愉しませるような人間になれたんだろうか?


そう考えると自分にはそこまでの才能は無かったかもしれないと思うわけで、才能が無いならせめて努力くらいは……と思う反面、彼らのような環境下なら食っていくために楽器を弾くことに時間なんか割いてられないということになるかもしれない。


それを思えば思うほど、それほどの才覚に恵まれない自分に出来ることとは練習を許される範囲で続けることと、目の前にある楽器や機材に対して贅沢な注文をつけるような事を言わずにとにかく夢中になって目の前のギターを弾くってことしかないんじゃないかなぁ、と。


才能あるならもう勝手に弾くし、才能無いなら無いなりに努力でカバーするしかないですし、お金で買えるモノを買い揃えるだけではその差は埋まらないですよね?ってお話しでした!


そんな感じ!


Mahalo!