なかじー的P.O.V〜『ギター仲間』という不毛地帯について。 | Honolulu Music Society byなかじー

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出自は日本生まれの日本育ち。
米国籍を取得してハワイに在住する音楽家であり実業家。3児の父。

今までの日本人には発想出来なかった独自の視点と解釈を元に展開されるちょっとだけ凄いブログ。
更新不定期。

​Aloha!



今日も今日とて。

缶のデザイン的にスイカっぽいイメージじゃないですけど味はスイカでしたねぇ。

というか実はハワイはスイカが美味いんですよ。ハワイ産のスイカは夏しか獲れないのですが年間通じていつでも何処かしらから入って来るのでたとえばドン・キホーテとかなら中くらいのサイズのスイカが$1で買えます。日本円なら150円くらいですか?安いですよね(笑)


ウチの農園では自分達が食べる用のマンゴー、パパイヤ、バナナが植えてあるんですがスイカはやってないので(面積を取るから)買って食べるのが我が家のスタイルです。


さて、


僕のブログでは散々言っているかもしれないんですが僕にはいわゆるギター仲間ってのが居ません。


エレキギターを趣味とする界隈ではギター仲間を作るのが当たり前な風潮、ありますよね。


僕がかつて運営していた『ギタリストのメッカ!』はまさしくそういう趣旨でやっていましたからその意義のある無しが全くの理解不能ってわけではありません。


むしろかつては『やっていた側』だったからこそ『今はやらない』ってことなんだろうと思います。


じゃあ、今現在『ギター仲間』を必要とする人達と、僕みたいなヤツとの違いって何処から来るのか?

今日はそれをシェアします。




​ギターを手にする動機の違い。


僕がギターを弾く動機、モチベーションは簡潔です。

音楽を演奏する事で聴いてくれる人の娯楽と快癒に尽くして笑顔にしたい。まぁそれで対価を得ているし当たり前っちゃ当たり前の話ですよね。


だから自分の満足っていうのは『ギターを弾く事』そのものにはあまり重要な意味は無いんです。だから自分が弾くギターは別に拘りは無いし、弾きやすくて音程がしっかりしていて丈夫で扱いやすいシンプルな楽器であればいい。


ただ使う場所が海のそばだったり船の上っていうシチュエーションだったりした場合の制限を考慮すると潮風や波飛沫の影響を受けにくい造りのギターを選択せざるを得ないわけですが、音に納得がいかないとか見た目をこうしたいみたいなことは一切無いんですよ。


ちゃんとストレス無く弾けるセッティングが成立していて、音程が安定していて、ピックアップが生きててポットにガリが出なくて演奏の中で楽器としての役割り(アンサンブルの一角)をきちんと果たせるなら安物だろうが恥じることは無いしむしろ『その逆』は演奏家としては恥であるとすら認識するわけです。


ぶっちゃけ自分のエレキギターに不満を持ちがちな人ってギターの不調よりも自分の練習不足を気にした方がいいとすら思います。


仮にエレキギター側は完璧じゃないにしても、演奏する側は絶対に完璧ってこともないはずで、むしろギターの側からしたら『もっとマトモな弾き手に弾いて欲しい』と思われているかも?






つまりいいギターや機材を揃えているのが自分を愉しませるためだけに使われており、慢性的に練習不足で楽曲のレパートリーも増えず、限られた演奏レパートリーを披露するのは『仲間うち』であり、その集まりを維持するために自腹を切って飲み会やライブを行う。そして互いのギターや機材を見せ合って弾かせ合って褒めてもらえることが嬉しい。ソレは演奏家としてはかなりハジカチィんですよ(笑)


同じ『ギター』という楽器を手にする者同士に見えて、僕と『彼ら』のモチベーションって別のところにあるんです。


別に僕が正しくて『彼ら』が間違えている、と言いたいわけではありませんよ?


ただ、純粋に『違う』と言うことです。


僕はギター愛好家の人からの承認を受けたいわけではないし、広く認知されたいわけでもない。ギター愛好家に影響を与えたり感謝されたり有名人になりたいわけでもない。


僕がギターを手にする理由、弾き続ける理由、人生の4分の1は演奏とその研鑽と修練に注ぎ込む、と決めた理由は『そこ』じゃないんですよ。




​仲間を求めるとしたら…


僕が『仲間』を求めるとしたら、それは端的に言えばギター以外の楽器の演奏者だったり音楽的な才能のある人間、音響技術やシステム構築に精通している人、イベントやコンサートのプロモートが上手い人、ってことになるんです。


僕はギターを弾く事そのものに精通していてそれに特化しているだけの存在なわけですから、端的に言えば自分以外にギタリストは必要無いですし音楽の為の演奏をする事が肝心である以上、ギター以外のパートを請け負ってくれる仲間こそ欲しいって言うのがホンネ。


ギター愛好家同士、ギター仲間同士って、いつもつるんで固まるでしょう?


せっかく身銭を切って何ヶ月かに一度のライブとかをやっても、


そこにはボーカリストもベースやーギタープレイヤーもドラマーも居れば、音響に詳しい人もプロモートに詳しい人も居るのに、


バンドが5つあったらそのバンドの『ギター担当者』だけが集まって、互いのギターを弾かせあったり褒め合ったり記念撮影をしたりSNSに上げあったり、時には夜通しギター談義をする。





いやソレ、勿体なくね?(笑)


まぁ勿体ないと思わない人には勿体なくないって事ではあるんですが、音楽的な広がりってギター担当者が何十人集まろうが『無い』わけですよ。


僕がギター担当者として音楽的な広がりを得ようとしたとき、そこに必要なのはギター担当者じゃない人達の力、知見なんですよっていうお話しでした。僕がギタリストとして活きられるのは音楽演奏の中だけのハナシだし、いいベースプレイヤーやいいドラマーとコミュニケーションしていかないとギタリストとしての成長は無いだろうなと確信しているんですよ。


『友達』が欲しいとしたなら、


自分の専門外とかギター以外の人と深く繋がりたい。


友達が欲しくてギター愛好家同士、ギター担当者同士と繋がりたいって、ソレってホントに友達が欲しくてなるわけではなくて、


同じ価値観が共有し合えそうな関係性の中で、自分が『何者かである』という承認を受ける存在になりたいからでは?(笑)


ナニワのジミヘン、広島のクラプトン、陸奥のジミー・ペイジとかお互い称え合ってたりとかさ(笑)


3人が折半でライブハウス借りたら『伝説のフェス』みたく𝕏で拡散しあって、とかさ。


ソレ僕からしたら『不毛地帯』。


僕にとってギター愛好家同士、ギター担当者同士の『友達の輪』で戯れることはギタリストとしての進歩の敵であり不毛地帯だと思いますけどいかが?っておハナシでした。


Mahalo!