トシを食うなら(40代の呟き) | Honolulu Music Society byなかじー

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出自は日本生まれの日本育ち。
米国籍を取得してハワイに在住する音楽家であり実業家。3児の父。

今までの日本人には発想出来なかった独自の視点と解釈を元に展開されるちょっとだけ凄いブログ。
更新不定期。

​Aloha!


人間、誰だってトシを食うもんだし最近の自分としてはソレは悪いことじゃないと思い始めている。


僕はこのブログでよく使う言葉があって、ソレは拘泥(こうでい)という単語。拘泥とは


人間、トシを食っても、摂生して身体を鍛え、常に思考を絶やさず生き甲斐をもって生きていれば、その分いろいろなことを経験しなにかを学んで賢くなれる。


およそ人間にとって大切なのは『健康に賢くなる』ということだと僕は信じていて、それはどんなに優秀な頭脳を持っていても肉体が滅んでしまえば文字通り宝の持ち腐れになってしまうし、健康を追及し過ぎて学びを疎かにすれば身体が元気なだけの老害になってしまう。


そのためには3つのことに拘泥しない、と認識する。


・狭了浅薄な知見

・低量低質な経験

・数少ない成功体験


残念ながら人間というのはこうしたことに拘泥しながら、ソレはあたかも水を含んだまま異臭を放つ雑巾のようなモノだったりするわけです。


知識を得る、経験を積む。乾いた雑巾ならそれらを綺麗に吸い込む。

そしてその吸い込んだ水を行動に移す事で搾り取って吐き出し、また新たな水を吸い込みやすくしていく。


雑に拭きあげた雑巾が、せっかく得た水を搾り切らずにそのままにすれば含んだ水はどんどん古くなり、腐って異臭を放つ。


そうなる前に『搾っちまえ』と思うわけです。


搾って新しい真水にさらされて繊維の奥深くに食い込んだ汚れを洗い流したら、またきっちり搾って日光に当てたらきれいに乾くじゃん。


そしたらまたいろいろなことを余すことなく吸収出来るし、拭きあげたあとも臭くならないじゃんね?


それが出来るなら、人間いくらトシを食ってもそう悪くないって思うんですよね。


人間、敵になるのは誰でもない。『拘泥する自分』だと強く思うわけであります。


Mahalo!