”ストリートスライダース武道館1987”に於ける『なかじーの言葉。』 | Honolulu Music Society byなかじー

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出自は日本生まれの日本育ち。
米国籍を取得してハワイに在住する音楽家であり実業家。3児の父。

今までの日本人には発想出来なかった独自の視点と解釈を元に展開されるちょっとだけ凄いブログ。
更新不定期。

​Aloha!


お元気に頑張ってらっしゃるようでなによりですね。

実は何年か前にアウラニリゾートホテルにて年末年始に何回かお見かけしておりまして(笑)


僕もそうでしたけど『家族でアウラニ』はわりとよくある事なのです。、


ハワイなのに、アウラニなのに、ビーチリゾートなのに、ユカイさんったら黒いフェルトハットを被ってらしてひときわ目を引いていた記憶。


いや、それは決していい意味で目立っていたわけでは無いんですけどね(笑)


ビーチリゾートで下は水着、アロハシャツを羽織りそこにフォーマルなソフト帽を被っている。それってたとえそれが日本ではロックスターの所作であっても『洋服のセオリー』としておかしいモノはおかしいので(笑)


洋服は日本では『輸入されて来た文化』であり、たとえ日本人がUNIQLOのように洋服を輸出する立場になったとしても『洋服のセオリー』を日本人が理解できたというわけではありません。


『個人の自由だろ』そんな声が聞こえて来そうですが、そもそも日本の場合その『個人の自由』というのはこれもまた輸入モノですので、令和の今になっても意味がよく理解されておらず濫用されている印象があります。


本来なら個人の自由を上回るものが社会的な価値観としてはちゃんとあって、それは『公共の福祉』と言いますよね。そして個人の自由が逸脱して、その他の人達にとっての個人の自由が既存された時『それを自由にやられると、『それをされたくない我々の自由が奪われているよね?』という理由で『公共の福祉』が発動する。


個人の自由を上回るのが公共の福祉。


いわば日本人が『輸入されて来た文化を知っている』というのはお饅頭のあんこだけを食べたことがあるのと同じで、お饅頭そのものの味やお饅頭がどのような文化的背景の中で用いられて来たのかを知らないのと同じだったりします。


日本では個人の自由を主張出来る人は居ても公共の福祉を主張出来る人はそんなに居ません。

それだけ日本に根付いた欧米由来の主義主張の唱え方が未成熟な社会であるということです。



余談ですが、日本のロックというのもいわばお饅頭のあんこだけを食べているようなモノで、アメリカの発明したお饅頭の中の1番甘い部分だけを食べているのが日本のロックシーンに見えます。

僕は長年日本にいましたしアマチュアながら一応ロックバンドもやっていましたからダイヤモンド⭐︎ユカイさんの事も『大御所』として知ってはいました。が、意外と小柄と言いますか華奢な感じで、逆にソフト帽で異彩を放っていなければ気付かなかったかも知れませんでした。ただ残念ながら僕はレッドウォリアーズの楽曲って聴いたことがなくて、彼の歌声って『深いいい話』のテーマソングでしか知らない。


声を掛けるのも逆に失礼かなぁと思いスルーしました(笑)


なんか僕は今までに芸能人やら有名人によく遭遇するんですが今まで声を掛けたこととか一度もなくて、特にハワイには毎年大勢の芸能人が来ますのでホント全然珍しくはないんですよね。それこそHawaii FIVE-0のキャストなんてしょっちゅう遭遇していたし。声をかけている人は当然いたのですが僕はしなかった。


それってバケーションを楽しんでいる人の権利を侵害している気がしてしまうんですよね。

元来僕が有名人になりたいとか見知らぬ人から声を掛けてもらってチヤホヤされたいって気持ちが皆無な人間だからかもしれない。


そしてそれはギターを手にしてステージに立つ時すら自己顕示欲や承認欲求に溺れることなく、キチンと『自分の仕事をこなす』ことを是として来ていられる僕の強みであったりもします。


人間、誰が偉いとか誰が偉くないとかは無いと思っていますが、唯一『お金を払ってくれる側の人は相応に尊重されるべき』とは思っていて、ソレって音楽の世界ではあんまり浸透していないですよね。


お金を貰う側=ステージに上がる側であるなら、お客さんはお金を払う側ですからお客さんを楽しませるのがスジ。ソレを判らない人、出来ない人がステージに上がるには、ステージに上がるために自らお金を払わなきゃいけない。


日本では当たり前ですよね。お金を貰う側は払う側を楽しませる。ソレがエンターテイメントの鉄則だから逆に自腹を切ってステージに上がるってアメリカではとても珍しいことだし路上でやるミュージシャンならチップ貰うまで次の曲やらないのが当たり前。遊びでやってるわけじゃないからなんですよ。だからお金を貰ったら精一杯いい音楽をやる。そこに安っぽい承認欲求に負けるような気持ちはないんです。ソレがプロなので。

(写真はエピ兄弟)



個人的な印象としては日本のアーティストってむかしどれだけファンの方が熱狂させた方でも歳を取ると地方の公民館とかで地味に弾き語りで活動する人ばかりになる気がするんですが、その心境はおそらくお客さんのひとりひとりに感謝する気持ちで大事にステージをこなすようになっているはず。


その感謝の思いを若い頃から理解出来ていたら、音楽家としてはまた違った活動の仕方も出来るようになれていたかもですね。


そんな事を感じました。


以上です。

Mahalo!


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