YAMAHA SG 1820反省会。 | Honolulu Music Society byなかじー

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出自は日本生まれの日本育ち。
米国籍を取得してハワイに在住する音楽家であり実業家。3児の父。

今までの日本人には発想出来なかった独自の視点と解釈を元に展開されるちょっとだけ凄いブログ。
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​Aloha!


だいぶ前の事だったと思うんですけど、YAMAHA SG 1820という製品についての拙い指摘を2回ほどやっています。




その折に指摘したのは、


・無意味に高い

・製品として設計思想が後退している


この2点だったわけで、それを踏まえて発売から10数年経過した後にYAMAHAが取った選択はどうだったの?というのを振り返ってみる試みです。


このギターが発売された当初の小売価格は385,000円でした。僕はコレをこのように断じています。


・新品でこの価格ではライバルが強力過ぎてまず売れない。

・売れるとしたら在庫処分としてYAMAHA系列店が社割(8掛け)で放出し始めてから。

・更に中古市場でたまに見かける程度に普及するのは10年後(2021年以降)。

・具体的には売価が180,000円程度になってから。


で、実際にそんな感じになっている。


そりゃそうですよね。

やはりメーカーっていうのはある程度マーケットの事を勉強しとかなくちゃいけない。


ただ、今になって思うのはこのSG 1820という製品にはある種の戦略があったのでは?と思わなくもないんですよ。その辺後半で書いてますのでそこまでお読みになられたらもしかすると新たに1つ、この新規SGの謎にたどり着けるのかもしれません。



​YAMAHA SGというモデルの位置付け。


言わずもがな、ですがYAMAHAにとってSGというのはLM(Light Music)部門に於ける楽器造りの歴史の中では明確に金字塔と言える製品です。


コレはなかじーの独断ですが、YAMAHAのような多岐にわたる楽器造りを担う様々な部門がある中でLM部門っていうのは社内の格付けとして決して高い位置にあるとは思えないわけですね。


たとえばそれはピアノであったりオーケストラで使用される金管楽器、木管楽器、弦楽器、打楽器といったアコースティック楽器製品のシェアと歴史に比べると微々たるモノなのでは?という事です。特にエレキギターは流行商品ですしそれを人前で演奏してくれるミュージシャンが人気者にならないと売れないという性質を持つ『商品』です。


つまり『SGでなきゃ』という明確な理由無しにコレが売れることは無いんですよ。


かつて、YAMAHAのSGっていうギターが素晴らしかったのは、楽器としての個性を音色面で明確に獲得していた事なんですよ。


それは有名なミュージシャンの方がSGを使って数多くのヒット曲を連発してくれたおかげで我々の耳に『YAMAHA SGとはこういう音』というモノを刷り込んでくれたが故です。


『これぞYAMAHAのSGだよなぁ』という音色的な個性が、少なくとも1980年代初頭までのモデルにはあった。


余談です。年式は明確に把握していませんがスピネックスマグネット搭載のピックアップが載り始めてからのSGは全く別方向に舵を切っています。この辺りは弾き比べてみるとコレかなり明確な差がわかるモノなので機会があれば一度試してみていただくといいです。


こういう具合に『この音は◯◯』『このモデルの音はコレ』という判断が素人耳にもわかるのが楽器としての個性が確立されているという事で、そういう判別が容易に付くぐらいに『楽器としての音』が明確になっている製品っていうのは日本製品にはほとんど無いんですよね。


意外ではないですか?


30年以上昔からギターに慣れ親しんだ我々くらいになるとギターがある程度フィーチャーされた楽曲を聴いていて『うわぁこのサウンドはいかにもテレキャスターらしいサウンドだよなぁ』とか『このグレッチのサウンドは最高だよなぁ』とか感じる時ってありますよね?


それが『楽曲を活かした楽器の個性』を認識しているということになります。


ソレをYAMAHAのSGは40年以上昔に確立していたという事で、そこに加えて年式ごとの方向性の違い(個体差とかではなく仕様の差)まで明確なのはYAMAHAがどれだけ製品造り、楽器としてのエレキギター造りに心血を注いだか?が感じ取れます。


そしてかつてのYAMAHAのSGっていうのはJAZZやフュージョン系のギタリストに愛用されていたように当時の水準でテクニカルな演奏に用いるギターでした。


ところがそれらのジャンルが衰退したのちに再びSGが脚光を浴びたのはイースタンユースというバンドがプチブレイクしてギター&ボーカルを務めた吉野寿氏が注目されたあたりなんですね。


あんまりハマらなかったバンドゆえ詳しくは語れませんが、いわゆる『掻き鳴らし系』の演奏スタイル。氏は決してテクニカル方向の使い道ではないわけです。


しかしながらそのサウンドはLes paulでは出し得ないある種のチープさと切なさを含んだ独特のものであり、個人的には大好きなギターサウンドでした。氏に憧れた方がその後SGを買い漁る事はなかったでしょうが、YAMAHAの中の人はそこにSG復活の萌芽を見たかもしれませんね。


逆を言えば1990年代のSGの評価とはそこまで地に落ちていたというべきかもしれません。


おそらく、SG 1820がセットネック+バックコンター無しという仕様を採用したのはこの『掻き鳴らし系』に対応しときゃ若いモンにもウケんだろうという目論見も働いたかもしれませんね。


楽器として、演奏者の技術レベルに対応するだけの弾きやすさ、造りというものがあるとしたらSGの設計思想は紛れもなく後退してしまったのです。



​っていうか、SGじゃなきゃダメなんですか?


厳しいコトを言ってしまうなら日本のエレキギターマーケットというのは『憧れのギタリストに成り切って遊ぶ』というホビーの為に存在すると言ってもあながち間違いではないわけで、そうした趣味にお金を投じる人というのは基本的にある程度の年収と可処分所得がある人に限られてしまいます。


つまり、40万円近くするエレキギターで、特段『成り切り遊び』には役に立たぬ製品なんて、若者や貧困に喘ぐ人達には関係のない代物と言えるわけですね。


たしかにトップに優美なアーチを配する2ハムバッカー+セットネックのエレキギターというのは見ているだけでも楽しめますしそういう趣味も個人的には共感します。


でもたまに爪弾くだけで大半は眺めているだけだったら、もしかするとBurnyとかEdward'sとかのLes paulもどきを買う方が『趣味』としてはよほど捗るかもしれないですよね。


僕が日本にいた頃、『ギタリストのメッカ!』というガラケーで閲覧出来るギターサイトを運営していました。


まだYouTubeもそれほどメジャーではなかった頃なので、当時としてはガラケーで録画した演奏動画をアップ出来るスレッド式の掲示板ということでそこそこ盛り上がっていた記憶があります。


今にして思えば『メッカ!』にご参加いただいていた方々って99%アマチュアの方でしたし自分もそうでした。そこで印象的だったのはやはりそうしたギター愛好家の人々って、憧れのギタリストと合一したい方、成り切りたい方々がとても多かったということがありました。


つまり、この演奏をしているのは自分自身から出てきたモノが主体であるということが大事なのではなくて『ジミヘン』だったり『S.R.V』だとかと同じように弾ける誰々っていうのが最も評価される特殊な空間でした。


今でもギター愛好家界隈だとそういう空気感はまだあるのではないですかね。


そうしたコミュニティではやはり相変わらずギターにこだわる、機材にこだわる、アンプにこだわるというのを徹底的にやり続けるのが美徳になっていたりします。憧れの誰かと同じモノを同じように使うっていうのが美徳。そういう空気感が色濃くあるコミュニティにどっぷり浸かるとそれがいかに異常かわからなくなる罠があります。


しかしながら、そうしたコミュニティにはプロの演奏家は居ません。間違い無く。


セミプロ?そんなモノは有りません。プロか、プロ以外か。


そういう中で果たして売れっ子のプロがもはや誰も使っていないSG 1820に、購買層の99%がアマチュアであるマーケットでどこまで訴求力があるものか。


YAMAHAのような優秀な人しか働いていない一流企業でよくこのモデルの稟議が降りたものだと思わざるを得ません。


なんとなれば、ギター愛好家にとって憧れの対象となる誰かが使っているモノ以外は無価値に等しい扱いを受けるのがエレキギターマーケットの常だからです。


そんな事は今までエレキギターを造ってきたプロなら当たり前のこととして認識しているはず。違いますか?



透けて見える​SG 1820の隠されたミッション。


ココで最大の謎の一端が見えてきます。なんでYAMAHAはこんなモデルを出して来たの?です。


SG 1820というモデルについて掘れば掘るほどに見えて来ることがある。ソレは、


・数多くは造れないので高額に成らざるを得ない。(後述)

・そもそもSG 1820はユーザーの方には売れなくてもいい。

・過去モデルの中古相場と金額差がある方がメーカーとして都合がいい。


なかじーにはそんな風に見えてしまうわけです。


結論:要はYAMAHAのLM部門の金字塔であったSGが、長らく著名ギタリストの愛用に与らぬ事で欲しがる人が減少、中古相場も売価の60%程度に落ち込む。(SG1820発売以前の中古相場)


当時のエレキギターラインナップの価格帯よりも安価に中古SGが流通してしまうと新品が割り高なものと認識されてしまう。現行モデルが売れない事がメーカーには打撃。


そのため新規にSGをラインナップし、その価格帯をGibsonやP.R.Sに比肩する位置まで上げることで中古相場が暗黙的に掲げてきた『新品当時の60%程度』が安過ぎると印象を操作、中古販売店はそれならもっと儲けられると認識するようになり、中古相場が底上げ。現行モデルよりも中古SG相場の方が価格面で上回り相対的に現行品が割安に映る。


YAMAHAのようなメーカーにとっては販売店に卸した本数が販売実績になるために顧客(ギター愛好家)がどれだけ買ってくれたかどうか、いくらで売り買いされたかは評価の対象とはならないわけです。


つまり、ハナから楽器としていいモノを顧客(ギター愛好家)に提供して音楽文化を豊かにしようとしているわけじゃないって事です。


自社製品の中での金字塔であるSGの再ブランディングと現行品のバリューを高める意味合いでのイメージ戦略の一環として企画された商品だという事でしょう。


え、そんな事のために商品開発なんてする?


そりゃしますよ(笑)自社製品のバリューアップを目指して企業がどれだけ宣伝広告費を打つのか考えた事ありますか?


ソレをほとんど使わずにただ損益分岐点に適う販売台数と価格の折り合いのつくロットをYAMAHA系列の販売店に卸せば『売れました』ってことになるわけで、それを在庫としておっ被された販売店は社割(8掛け)もしくはそれ以下でコッソリ放出すれば済む話なわけです。


販売店としての利益を放棄すれば20万円台半ば未満でも充分処分できるはず。


ソレがSG 1820というギターの顛末ではないですかね?


いや、なに。

単に自分自身が使うギターの予備としての一本を探していた時コレがあるのを思い出しまして。


【SG 510】


なんでコレ、台湾やインドネシアで造らせて出さないのかなって思いますよね。


最盛期だってSGを実際に造ってたのはTOKAIだったりフジゲンだったのだし、型番800以下の廉価版は寺田製だったわけですからSGだからといって『国産』にこだわる理由はどこにもない。


あ、でもRevstar売れなくなっちゃうか(笑)


以下、なかじーの妄想『新規SG』


ボディ:メイプルトップ(フラット)+ナトーバック(ホロウ構造)

ネック:ナトー、ボリュート付きネックバインディング無しドットポジションマーク(アヴァロン)

指板:ローレル

ピックアップ:ダンカンデザイン

コントロール:1V 1T+3点トグル、push/pull コイルタップ

カラー:ワインレッド、ウォルナット、シースルーブラック、コバルトブルー


コレ80,000円くらいで出すといいんじゃね?なんて思うんですが。。


お前が欲しいだけやろがい!


ハイ、そうです(笑)


今日のところは以上です。


Mahalo!


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