原発事故から15年目に入りました。

福島通いの指針にしていた『セシウム137のが半減期を迎える30年間は通い続けよう!』の半分にようやく達したわけです(半減期の半分とかややこしいな)。

※半減期とは、放射線の量が半分になる期間の事。

(なぜ、完全に無くなる時期ではなくて、半分になる期間ばかり書かれるのかはよく分かってないけどね)


15年目に差し掛かったので、これを期に今まで福島でやったことを、今や廃れてしまったアメブロに書いていこうと思う。



タイトルは『原発事故を斜め下から見る(仮)』です。

第1回は【「福島に30年通う」と言った理由を改めて書く】です。


人間は忘れっぽいし飽きっぽい。

もちろん私もそうだし、誰にも負けない自信がある!

でも、こういう実害があるような事を一時期のブームみたいにしちゃうのってカッコ悪いしなんか嫌だ。

だってそれじゃ嫌いだった大人と同じになっちゃう。

だから、続ける事を自分に課してみたわけです。



【反原発はブームだったのか?】


当初は多くの人が福島に慰問に来ていたけど、だいぶ減った。

全国版のニュースや雑誌で取り上げられることも少なくなり、Yahooニュースからも「原発関連」という項目が消えた。

東京にいるともはや、原発事故は解決したかのように思えてしまう。


毎月福島に行ってると、「福島民報」や「福島民友」といった地元の新聞を目にする機会がある。

すると今でも原発事故関連の記事が載っている。一面に載ることすらある。

なんといっても「今日の放射線量」なるものも毎日掲載されている。

テレビのニュースでも、天気予報と一緒に放射線量を言う。

※毎回かどうかは知らんけど何度か見た。







だけど、200km離れた東京では日々忘れていく。


まあ、こうなるだろうなぁ…と、思っていた。

(事故から2、3年は「原発反対」を訴えるデモや集会が盛んに行われていた。現在はだいぶ鳴りをひそめた。あの人達は今、どうしているんだろう?)


だけど今も、溶け出した放射性物質(デブリ)は14年前のあの日のまま。

水で冷しているだけで、解決していない。解決策も決まっていない。

そして、さすが夢のエネルギー!

相変わらず近寄れば即死する量の放射線量を出し続けているようだ。




※産経新聞より

https://www.sankei.com/article/20240311-TWQZD5XIWZL6BK2YLVWXP5P7KI/



原発事故の終結(廃炉)は、デブリをすべて取り出し安全に保管する事だ。

今までに取り出したデブリは、全体880tに対し0.7mg。

(何分の1か計算しようとしたけど計算機の桁が足りなくて…おそらく125億分の1?あれ?1250分の1?…分からん!計算得意な人やってくれ!)

詳しくは3月10日に載った福島テレビの記事を読もう。

 

https://www.fukushima-tv.co.jp/localnews/2025/03/2025031000000006.html



そんなわけで、行き続ける理由は


「ブームに乗せられただけではカッコ悪いから、意地を張っている」


でした。




次回は


『それでも継続はめんどくさい』


です。




*このブログはメンバーで話した事をキャスが総括して書いてます