「光る君へ」 第2話「めぐりあい」 | meaw222のブログ

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今日は、「光る君へ」 第2話「めぐりあい」について書きたいと思います。

 

  大河ドラマにおける視聴率

 

「光る君へ」の初回視聴率が、12.7%と大河ドラマ史上最も低い初回視聴率を記録してしまいました。

 

平均視聴率と初回視聴率の関係

因みに、下の棒グラフが、2000年以降の大河ドラマの平均視聴率と初回視聴率の関係を示したものです。

 

青線が平均視聴率で、オレンジ線が初回視聴率を表しています。

 

 

この棒グラフを見て分かると思いますが、殆どの作品で平均視聴率が、初回視聴率を下回っています。しかし、二作品については、これが逆転をしています。それが、2006年「功名が辻」と2008年「篤姫」です。

 

奇しくも、この二作は、女性が主役となるドラマであり、かつ、「功名が辻」の脚本家が、今回の「光る君へ」の脚本家である大石静さんです。

 

大河ドラマにおける視聴率の分析

また、この視聴率を年代別に分析すると、全体の7割から8割が50歳以上であり、これはどの作品についても同じで固定されています。

視聴率的に言うと、2000年以降の大河ドラマにおける視聴率の10%~20%がこの年代層が占めていると言えます。但し、各作品ごとの視聴率にばらつきが出るのは、50歳未満の視聴者の動向が原因となっており、登場人物やストーリーによって50歳未満の視聴者の特性がこの視聴率の差につながっていると言えます。

 

例えば、前回の「どうする家康」では、戦国時代が舞台となっており、ビジネス誌でも良く取り上げられる徳川家康を主人公にしていたために、30代、40代の男性視聴者がほかの作品に比べて高かったと言われています。

 

これを更に別な観点で分析してみると、主人公の性別に限定した場合、過去のデータから女性の主人公を扱った作品では、30代から40代の女性の視聴者数が高くなる傾向があるそうです。

 

従って、「光る君へ」のメインターゲットは、前回の「どうする家康」が20代~30代の若者層の掘り起こしから、30~40代の女性をメインターゲットに移行するのではと思われます。

 

実際、昨年に裏大河と言われた「大奥」では、30代~40代の女性をメインターゲットとして好評を得た実績もあり、NHKは、今回の「光る君へ」も「大奥」と同様に女性が主人公となるドラマのために、ストーリー展開も似せてくるのではと思われます。(脚本家である大石静さんが、本ドラマで「大胆なセックスとバイオレンスを入れる」と宣言しており、これも「大奥」と同じ方向性を持っています。)

 

 

ドラマ脱落の原因

もう一度、上の棒グラフを見てください。

オレンジ線である平均視聴率は、右肩下がりという傾向が出ていますが、平均視聴率と初回視聴率の差は、作品によってまちまちとなっています。

この差は、一体何を示しているのかと言うと、ドラマを途中で断念して見なくなった視聴者の率であると言われています。

 

この差は、色々な要素、例えば登場人物であったりとか、ストーリー展開、演出、出演した俳優さんの好き嫌いなど色々な要素があるとは思いますが、ここで面白い表をお見せしたいと思います。

 

上の表は、初回視聴率と期間平均視聴率及びその差を一表にしたものですが、その差が5%以上のものを青で抜き出しています。

 

この表から、2000年以降の大河ドラマにおける初回視聴率と期間平均視聴率の差の平均値が3.9%であるのに対して、「新選組」と「八重の桜」の数値が、8.9%、6.8%と他の作品と比べて高い事(ドラマを断念した人が多い事)が良く分かると思います。

 

この二つに共通することは、「新選組」は登場人物にエッジをかけるため、「八重の桜」は東北震災復興の為に一方的に会津を善として敵対する長州を悪と決めつけている事など、時代考証が二つの作品では上手くストーリーと噛み合っていません。

つまり、史実とストーリーの齟齬(時代考証)が、嫌われてドラマを見ることを断念させる原因となっていると思います。

 

時代考証と歴史小説・映画ドラマ

では、歴史小説や歴史映画ドラマにおける時代考証とは何か?

 

歴史小説や歴史映画ドラマで描かれる人物は、歴史上存在した人物であり、史実を無視することはできません。

しかし、史実のみを描いてしまえば、それは単なる歴史書の解説書や再現映画ドラマであり、それでは広い意味での芸術(狭義的に言えば娯楽)とはなりえません。

 

したがって、歴史作家や映画ドラマ作家は、現存する資料を集め、その資料の中から共通的な事項を抜き出して、資料に書かれていない登場人物の心情や考え方、行動様式を推察します。

他の言葉で表すならば、歴史小説や歴史映画ドラマでは「資料の行間を読む」作業が必要となり、史実と史実の間をその行間で埋めて芸術(娯楽)作品とします。

しかしながら、この「資料の行間を読む」行為は、諸刃の剣であり、その小説なり映画ドラマがヒットし影響力を持つようになると、史実が曲げられてしまうという負の側面があることも確かです。

 

いわゆる、「司馬史観」と呼ばれるもので、司馬遼太郎さんの描いた「龍馬がゆく」の坂本龍馬や「坂の上の雲」の乃木希典が良い例で、我々はこれらの歴史小説や歴史映画ドラマを見るうえで、史実を使ったノンフィクションではなく、作者の創作が入っているフィクションであるということを認識しながら見る必要があります。

 

「光る君へ」の第1話の衝撃の5分

この時代考証の観点から、第1話の衝撃の5分間について考えてみると、結論から先に言うと、藤原道兼は、ドラマで描かれている様な乱暴で直情的な人物ではありません。

 

藤原道兼は、984年(永観2年)、「師貞親王」(もろさだしんのう)が花山天皇として即位した際に、「蔵人頭」(くろうどのとう:秘書的な役割を担う官職)として仕えます。

藤原兼家は、花山天皇を退位させて、まだ幼い自分の孫「懐仁親王」(やすひとしんのう:のちの一条天皇)を擁立し、摂政として実権を握ろうと画策。そこで藤原兼家は、花山天皇の側近であった息子の藤原道兼に指示を出します。

 

父の指示を受けた藤原道兼は、愛しい女性の死去をきっかけにふさぎ込んでいた花山天皇に出家をすすめ、自分が一緒に出家して弟子として仕えると約束します。

藤原道兼は、出家をためらったり引き返そうとしたりする花山天皇を涙ながらに引き止め、出家の道を急かしました。

 

しかし、最後になって「出家する自分の姿を父に見せたい」と噓をつき、花山天皇だけを残して逃げてしまいます。花山天皇がだまされたことに気づくのは、出家の手続きが終わり剃髪して「花山院」(かざんいん)となってからでした。実際に藤原道兼が一緒に出家しないよう、寺院への根回しも周到に行われていたので、知らなかったのは花山天皇だけだったのです。

 

この事件は「寛和の変」と呼ばれ、歴史書「大鏡」に詳細が記述されており、この資料を見る限りでは、ドラマに描かれたような乱暴で直情的な人物ではなく、色々な事態をあらかじめ想定しそれを実行できる策略家の面しか見ることが出来ません。

 

しかしながら、同時にこの歴史書「大鏡」の記述が、中立的な立場から書かれているとは断言できません。

 

この「大鏡」は、「四鏡」(「大鏡」「今鏡」「水鏡」「増鏡」の4つの歴史書)の最初の作品であり、内容的には2番目に古い時代を扱っています。

その作者は、近年まで不詳であり、過去に色々な人物が浮かび上がりますが、最近の研究では、源 顕房(みなもと の あきふさ)が確実視されています。

 

源 顕房は、父方の系譜には村上天皇、源高明。母方の系譜には藤原兼家がおり、今上天皇の直系祖先と言われている人です。

従って、この「大鏡」は、源氏、藤原氏の立場から書かれた歴史書であり、ましてや、母方の伯父である道兼について悪く書くはずはありません。(悪く書くと「天に唾する」こととなるため)

 

とは言っても、ドラマに描かれた道兼に関連した衝撃な事件は、まひろ(紫式部)の母親の死亡した時期と大きく異なっており、間違いなく史実ではありません。

 

個人的に言うと、確かに、この事件をこのドラマの起点にすると、資料に残されている紫式部の性格や運命を上手く説明できますが、果たしてこの後の史実と上手く勘合できるのかと心配にはなります。(特に藤原道兼、道長兄弟と紫式部の関係について)

 

また、大河ドラマにおいて時代考証はその作品の可否に大きく影響する要素であり、この史実とは違った衝撃の5分を、史実と史実の間に入れ込むことは、脚本家の大石静さんにとっては、大きな賭けであったと思います。

とは言っても、今時点のSNS等の反応からすると、この衝撃の5分は好意的に受け入れられており、つかみとしては成功してはいますが・・・

 

 

  第2話感想

この第2話を見た時に、何とも評価しがたい感覚となりました。

それは、同じ大河ドラマでありながら、前回の「どうする家康」とは大きく世界観が違っている為だと思います。

 

今回の「光る君へ」は、より大河ドラマらしい作りとなっており、インカメラVFXなどの特殊効果を使ったまるで舞台の芝居を見ている、ある意味狭苦しい空間から、屋外のロケが多用されているせいか、前回に比べて画面が広く感じられました。

 

また、舞台でいう暗転、ストーリーが次の場面に移行する合間が、「どうする家康」ではナレーションで行われ、少しわざとらしい感覚はありましたが、今回は自然の風景を使用して行われるなど日本映画によく使われている手法が使用されています。馴染みのある手法ですので、見ていて非常に落ち着きます。

 

ストーリーもテンポよく進行し、こんなに早く進行してもいいのかと思うぐらいのスピードでした。但し、余りに展開が速い為に、平安時代の知識が無ければ全く理解できないであろう部分の説明が省略されていたような気がします。

 

また、これはSNS等でも言及されている事ですが、第2話の中心的な人物ともなる藤原詮子を女優の吉田羊さんが演じていますが、制作者側から見ると、この詮子と円融天皇との愛憎関係が、この後のストーリーを動かすための原動力となっていることから、その演技力を買って吉田羊さんを起用したと思いますが、周りの俳優さんたちと比べるとやはりすこし年を取りすぎているというかアンバランスさが目立ちます。

 

少なくとも、13年前に女性警官で出演した「八日目の蝉」頃の若さがあればと思います。

容姿的にはあまり変わりませんが、さすがに若々しい表情というものが、この映画に比べて無い様に感じます。

 

(吉田羊さんが4分30秒ごろに登場します。)

 

少し、脱線しますが、この「八日目の蝉」は、直木賞作家・角田光代さんの実話を基にした小説を原作にして制作された衝撃の映画となっており、出演が井上真央さん、永作博美さん、小池栄子さん、森口瑤子さん、田中哲司さんなど錚々(そうそう)とした俳優さん達が出演してます。

非常に考えさせられる内容ともなっており、同時に素晴らしい映画でもあります。

まだ見ていない人は、見ても後悔のない映画です。(特にお子さんをお持ちの女性の方には、かなり刺さる内容となっています。)

※ 現在、ネットフリックス上で見ることができます。

 

本題に戻します。

 

まひろと道長の関係は、映画「君の名は」を彷彿とさせる「すれ違い」のめぐり逢いとなっています。

 

この「君の名は」は、最近作られたアニメではなく、1953年に制作された主演が岸恵子さんの映画です。主人公たちが幾度となくすれ違いを重ねながらも、強い絆で結びついており、少しずつその距離が短まっていくロマンスの原型となった映画で、韓国映画ドラマで盛んにコピーされた恋愛映画の定番映画です。

 

第2話では、道長とまひろが、再び出会いながらも、色々な事情により近づけないもどかしさが描かれています。

3話以降の道長とまひろの関係が、どうなるのかが楽しみです。

 

今回の大河ドラマは、戦争や大きな紛争がない時代が扱われており、主人公も紫式部の人生を取り扱っており、登場人物の権力争いや人間関係が中心となる事が予想されます。

脚本家である大石静さんが、この先どのようにストーリーを盛り上げていくかが鍵となるとおもいます。

 

 

  ドラマの舞台となる平安京

では、このドラマの舞台となる場所、平安京について説明していきたいと思います。

 

 

平安京の成り立ち

平安京とは、794年から1869年までの間、天皇の住まいがあった都のことです。そのうち、平安京が政治の中心だった約400年間を平安時代といいます。

 

平安京は794年(延暦13年)、第50代天皇・桓武天皇(かんむてんのう)によって遷都された都です。

平城京に都があった頃、次第に仏教勢力が強大になり、政治に介入するようになります。

天武系最後の天皇・称徳天皇(しょうとくてんのう)は僧の道鏡を重用し、自分の次の天皇にしようとしたほどでした。

しかし、その思惑はうまくいかず、天皇が亡くなると天智系の光仁天皇(こうにんてんのう)が即位することになります。

壬申の乱以降、100年ほどは天武系の天皇が続いていましたが、皇位をめぐって天武系の皇族の粛清が相次いでいたこともあり、称徳天皇の後継者選びは難航しました。そういった中で、天智天皇の孫の白壁王が光仁天皇として即位したのです。

 

しかし、光仁天皇の即位から数年後、皇后と皇太子が位をはく奪された上、不審な死を遂げるという事件が起こります。

その後、平城京では瓦や石が降ってきたり、内裏(だいり:天皇の住まい)に雷が落ちたりといった怪奇現象が起こり、当時の人々は皇后と皇太子の祟りだと怖れました。

このような平城京の混乱が、長岡遷都および平安遷都の背景にありました。

 

かくして、この様な動乱を鎮めるために、光仁天皇の子である桓武天皇は、都を平城京から長岡京へと移します。

これは、朝廷から仏教勢力を駆逐する目的があったと言われています。

とわ言っても、この長岡京も不運続きで、10年間しか続きませんでした。

 

最初の躓きは、造営の責任者が矢で射殺されたことです。その事件に関与したとして、桓武天皇の弟の早良親王(さわらしんのう)が流罪になります。親王は無実を訴えて絶食し、まもなく死亡します。

 

実際には、この早良親王が、奈良仏教界の象徴ともなっていたために、事件をでっち上げて罪を着せたのではないかと言われています。

 

その後、長岡京では疫病(えきびょう)が流行し、桓武天皇の母や妃たちが亡くなる不幸が起こります。桓武天皇はそれを早良親王の祟りと捉え、長岡京に都を置くことを諦めます。

これが、御霊信仰の始まりでもあると言われています。

 

この早良親王は、日本史上で初の「祟り神」となった人物であり、怨霊による災いだと恐れた桓武天皇は、淡路に葬られていた早良親王に崇道(すどう)天皇という称号を送り、奈良県の八島陵に改葬をします。そして荒ぶる魂が鎮まるようにと、京都の御霊(ごりょう)神社に崇道天皇を祀ることとなります。

 

今回の大河ドラマで登場する安倍晴明が主要な登場人物となる2001年制作の映画「陰陽師」の中に、この早良親王が中心的な存在として登場します。

 

 

この映画の公開後は、この役を演じた野村萬斎さんのイメージが、安倍晴明に強く影響することとなります。

嬉しいことに、今年のゴールデンウイークにこの「陰陽師」の最新作「陰陽師0」が、原作者・夢枕獏の全面協力のもと完全オリジナルストーリーで映画化されます。

倍晴明に山崎賢人さん、源博雅に染谷翔太さんが出演することとなっています。野村萬斎さんの作った安倍晴明のイメージを突き崩すことができるか?

予告編を見る限りでは、「ゴジラ-1」と同様に日本の特殊効果のすばらしさが堪能できるのではと期待させられます。

 

 

この映画の中にも、平安京が描かれています。

2024年は、平安京の時代となるか?

 

また、脱線ばかりして取り留めのないブログとなりましたが、最後に、平安京オーバレイマップと言うのがありますが、これを使うと、平安京を現在の地図と重ね合わせることができるすぐれものです。

 

 

平安京は、東西4.5km、南北5.2km敷地の中に、北端中央に大内裏(中央政権執務場所)と内裏(天皇の私的区域)から構成された平安宮があり、中央には平安京を東西に分ける朱雀大路が通っており、これを中心にシンメトリーに作られた碁盤目状の町となっています。

朱雀大路より平安宮に向かって右を左京、左を右京と呼ばれいます。

 

平安京の南端と朱雀大路の交点にあるのが、映画でも有名な羅城門(羅生門)です。

そして、羅城門をくぐって右手にあるのが東寺、右手にあるのが西寺。さらに、もう少し行くと朝廷が運営していた東市と西市があったそうです、この東市と西市では各種の物が売買されており、半月ごとに交代して市場が開かれていたそうです。

 

因みに、第1話で登場したまひろの生家は、現京都御所の東側中央(洛外)と鴨川の間にある廬山寺の脇にあったと言われています。

道長とまひろの出会った場所は、川の近くで周りに高い建物がないことから、まひろの生家からさらに洛外を東に行った場所ではないかと思います。

暇のある方は、平安京オーバレイマップを使って、「光る君へ」を楽しんでください。

 

長くなりましたので、今日はここまでとします。

第3話が非常に楽しみです。