闇夜に捨てられた午前2時
君は泣いたのかなあ

仮面を剥がしたあいつのために
君は泣いたのかなあ

なあ

糸を一本切るだけで
糸を一本切るために
いつでも君は泣いていたの?
いつから君は泣いているの?

なあ

月夜をからかうために
僕は笑っている

はにかみ踊るために
僕は笑っているよ


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その憎い言葉を食べたら あとはもううるさいよ
この命あげるからさ お前の顔は見たくないよ

うるさいようるさいようるさいよ
喋る鼻がないから 君の頭を嗅ぐ目がないから もう階段もいつまでも続くから

うるさいようるさいようるさいよ
your cure i know


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一輪の花が咲く砂漠が見たいから歩き続けた老夫が消えた
花を見る前に

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ゆれる 白い 黄色い朝が好きだって不思議に思った
くれる 寒い クリスマスが見当たらない路地裏に逃げていった

むれる いたって 殺す殺されるの人が僕は見たくない
映画の中でも たとえ

そんなはずはないな
そんなはずはないな
知りたくもなかった

優しい 甘い ソーダから泡が消えていく夢


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知ったらダメ知らないでずっと
退屈な朝も静かな夜も窒息しそうな夕方も

全部消して白紙にしてしまおう

きっと出来るよ僕と君なら

アーデュ
逆立てた毛を撫で下ろして、時間が過ぎてゆく。疲れを覚えた僕の舌を甘いキャンディーが溶けてゆく。
知識。
いらない断り。
知識。
膨らんだ頭は飛んでいってしまう。
いっぱしに批評をするなら間の抜けた答えはいらない。
伝えるのが僕らの、愛するべき人間の役割だとしたら僕は死ぬほどそれに固執をしていて、それがなかったら死んでもいいとおもっている。
伝える?違うよ。
伝えたくなんかない。
標題なんかいつかは消えてしまうのだろう。
僕の生まれた1990
伝える為に口を手を頭を思考を足を持つ人

100%の理解とミルクセーキ

アデュ
 言葉って怖い。出来ることなら使いたくない。しっぽとかあったらよかったのに。あれとっても便利だと思う。嬉しいときは振ればいいのだし、機嫌が悪いときはピンと伸ばせばいいのでしょう。でもどうせ駄目、本当にしっぽがあっても恥ずかしくてきっと隠しちゃう。だって感情丸出しなんだもの、誰にも見られたくないよ。

 そう考えると言葉って便利。言いたいことは言えばいいし、言いたくないのなら言わなければよいのだもの。しっぽより便利。何より伝わりやすいもの。しっぽを振っていたって嬉しいのはわかってもどうして嬉しいのかまでは伝わらないし、過去のことは伝えられない。言葉なら出来る。情報とか感情とか共有できる。それってとってもすごいことだと思うよ。そこが怖いのだけれど。

 簡単に共有できて、簡単に理解できる。それだけで知った気になれちゃうんだから言葉ってとっても便利で、とても恐ろしい。

 例えば私が こしあんとつぶあんだったらつぶあんのほうが好き。なんてつい言ってしまったら私はそれからずっとつぶあんが好きな人として認識されていくのです。もちろんそれは本当のことなのでそれは構わないのだけれど、私がそう言っただけで私がそういう人間になってしまうのがなんだか怖い。それが嘘か本当かわからないのに信じられてしまう。もちろんそんなところでしょうもない嘘をつく人もいないからだと思うけれど。

 私の言葉が他人の中で私を形成していくのがこわい。つぶあんが好きで、逆上がりが出来なくて、おゆはんはオムライスを食べたなんて言ったら、それから私はそういう人として捉えられていくわけでしょう。そういうイメージが他人の中に出来上がるわけでしょう。とってもいやだ。

 そのくせ私が 実はしっぽが生えてる。だとか、最近胸が膨らんできた。なんて言っても誰も信じたりはしない。ただそのかわりつまらない嘘をつく人間だと認識される。「僕は自分の目で見たものしか信じない。でもその代わり僕が見たものはたとえどんなものであろうと信じるよ」だなんてスナフキンみたいなこといわれても困る。それは人前でお尻をだしてしっぽをみせるなんて出来ないし、なによりしっぽなんて生えていないから。

 なにより怖いのは実際の私より、私の言葉によって作られた他人の中の私のイメージのほうが時として他人の中で大きくなっていること。いつのまにかイメージの私のほうが本物で、本当の私が私でなくなっている場合。あなたらしくないね。だなんて言われたら、笑うしかないね。

 そんなに怖いなら言葉なんて使わなきゃいいのに。そう言われたって便利なんだもの。使うしかないのだ。好き。たった二文字で済むのだもの、手を繋ぐより簡単だわ。ばーか。