いつの間にか、知らないうちにどこかにぶつけていたみたいで、膝にアザが出来ていた。気付くまでは何ともなかったのに、その存在を知った途端、急に痛みだしてきた。紫色になった皮膚、五十円玉ぐらいの大きさ。内出血している、よくよく見てみるとすごく痛そうに思える。表面は何ともないけれど、内側では血管が切れて血が滲み出ている。だからといって、外側から僕が何か出来るわけでもない。消毒なんて必要ないし、絆創膏だって貼っても仕方がない。早く治りますように、なんて思いながら、ただ放っておくしかない。そう、ただ放っておくだけしか。

ふがいないね。




慎ましげに咲くあのちいさな蜜の花、ぼくは子供の頃あの花が大好きだったけれど、二十歳を過ぎた今は別になんとも思わなくなってしまっていて、どういうわけかその微細な変化がちょっと悲しかった。春から夏にかけてどこにでも咲いている、あのちいさな花の名前をなんといったのか、もう思い出せない。ほら、あの花、細長い花弁をつまんで蜜をちゅうちゅう吸うと、甘くておいしいあのちいさな花。名前、なんだっけ、なんだったかな?

午後二時の太陽にあてられて、ぼくの髪の毛はドライヤーをかけ終わった直後のように暖まっているくせに、全然柔らかくなくて、逆にぎしぎししているし、洗い立てのいいにおいもしなかった。
アスファルトの道端ですれ違った男の子の持っていたソフトクリームは、どろりととけて指に白い筋を作っていた。バニラの香りが鼻腔をかすめて、ぼくもソフトクリームを食べたくなったのだった。ただし、アスファルトさえとけてしまいそうな炎天の下ではなく、風通しの良い縁側の、長椅子に座って食べるあのふくよかなソフトクリームだ。全く、そんな、贅沢は、存在しない、馬鹿たれ。 バニラのような甘ったれの理想を追い出して、コンビニでスーパーカップを買って家に帰って強に設定した扇風機の近くで食べた。あの小ぶりの花の幽かに甘い蜜は、こんなに強烈な甘味ではなかったはずだ。半分ほど食べると身体が冷たくなった。ひんやりとする指先を首筋にあてがいながら、ぼくは陽が落ちかけるのを待った。

薄暗くなってからまた道端をよく観察しながら歩いた。けれども例の花は見つからなかった。それはそうだ、もう季節じゃない。と、そんなことにようやく気付いたのは陽もすっかり隠れてしまった頃だった。
カフェでアイスコーヒーを飲みながら、インターネットで調べてみることにした。おぼろげな記憶を頼りに検索をかけてみると、サルビアとかツツジとかの蜜を蓄えた花の画像やら、甘い蜜をせっせこ集めている蜂の画像やらが出てきた。どれも探しているものとは違っていた。サルビアもツツジも、綺麗なんだけど、そういうことじゃなくって。
やがてヒメオドリコソウという名前の画像が出てきて、これだと思ってその名前を検索した。
どうやらぼくの探していたものは花というよりは草らしかった。どこでも咲くような雑草だった。
幼稚園に通っていた頃。園内に咲いていたそれのとてもちいさな花弁をつまんでは、しょっちゅう蜜を吸っていたあの頃のことは、やけに記憶に残っている。いや、正確には、あの蜜の味のことを、ぼくの頭と舌はおぼえている。鮮明に思い出せる。なぜだろう、どうしてだろう。ヒメオドリコソウの蜜の味が舌の上でじわりと広がっていく、そんな気がして、アイスコーヒーを一口、飲んだ。
いつから苦いものをブラックのまま平気で飲めるようになったっけ? いつもはいれないシロップを入れて、飲みかけのアイスコーヒーをストローでぐるぐるとかき混ぜた。よく混ざるよう、念入りにぐるぐるとかき回した。それからまた一口、飲んだ。
そうだ、ヒメオドリコソウの蜜は、幽かに甘く、幽かにほろ苦かった。ほろ苦かった、ような気がする。そうだ、あの蜜は、シロップの甘さとも、コーヒーのほろ苦さとも、確かに違っていた。違うはずだ。

帰路の涼しさに秋を感じた。鈴虫はいつのまにか大合唱まで始めている。秋。ぼくの幼い頃の秋は、どんなだっただろう。全く思い出せない。かつての故郷の秋を全く思い出せない。それがとても悲しかった。
絵本に出てくるようなリスの姿を、木陰に追い求めていたのかな。枯れ葉の踏むとパリパリカサカサ鳴る小気味のいい音を、楽しんでいたのかな。
いや、きみは絵本なんて、好きじゃなかっただろう。外に出て、紅葉の並木道を歩いたり、走ったりする、そんな晴朗な男の子じゃあ、なかっただろう。じゃあ、ぼくはあの頃、あの秋に、いったい何をしていた?
頭の中が混乱してきた。そうしたら、ヒメオドリコソウのあの蜜の味も、次第に疑わしくなってきて、ぼくは肩をさすりながら、鈴虫の夜の宴のそばを通り過ぎた。なんていうか、とても寒気がした。
(空想の産物なんかじゃない。思い出を美化しているわけじゃない。)

クーラーを付けた部屋でビールを飲み、何を言いたいのかよくわからない本を読み、そうしているうちにぼくは、あの小ぶりな雑草のことなど、忘れてしまった。

次の日、食べかけのスーパーカップを冷凍庫から取り出したとき、昨日のことを思い出すことができて、ほっとした。なんだか少し、いやだいぶ、忘れっぽい自分が嫌になった。むしゃくしゃした思いを抱えながら、スーパーカップの残りを平らげた。ぼくはヒメオドリコソウの蜜の味だけをおぼえている。「記憶の上塗り」。ちょっと馬鹿っぽい言葉だね。
かびの生えたスニーカーはかつて虹色だったのかもしれない。
急勾配の下り坂をぼくの身体は思い出す。自転車のブレーキレバーはざらつく。27インチの車輪が軋んだ音をたてて火照ったアスファルトの上を転がる。錆びてがたついた荷台には多分きみが乗っている。二人乗りがぼくは下手だ。
下り坂は太陽から逃げるようにして続いている。ぼくの髪の毛は暑くてすこし湿っている。きみの髪の毛からはトリートメントの甘いにおいがする、きっと。下り坂が自転車を急ぎ足で運ぶ。向かい風が自転車をゆるやかに包む。虹色の足でペダルを踏む。耳元で風がうなりをあげている。
急いていた気持ちを風は生温く撫でる。風。懐かしい風。首筋を舐める汗が飛沫となって後方へさらわれていく。
道はどこまでも続くようだ。緩やかな速度で進んでいく。黒松の木がないている。心臓はあくまで平常に脈打っている。ぼくの背中から別のリズムの鼓動が聞こえてきたような気がした。
黄金の砂浜と、風車の巨影。さんざめく海に、波止場の思い出。 
夏の日にだって、きみの手は冷たい。
軽やかなふくらはぎが波打ち際を走る。きみの手を引いて歩きたくて、ぼくは駆け出す。
ざあぁっ。
白く泡立ったさざ波が、波打ち際に脱ぎ散らかしたぼくのスニーカーを連れ去った。そのとき、海にはぼく一人だけがぽつんと取り残されていた。
太陽の光に海は白く染まっている。これが星の海。綺麗だな。眩しさにぼくは目を細め、泣いた。
浅瀬でぷかぷかと浮いていたスニーカーをつまみ上げた。スニーカーは塩水をたっぷりと吸い込んで重くなっていた。きらりと光る砂は足にまみれるとその輝きを失った。ぼくは砂だらけの足で自転車に乗り、海をあとにした。裸足でペダルを漕ぐのはちょっと痛くてむず痒かった。だけど、気持ちよかった。
家に着けば、ぼくの夢は終わり、また新たな夢が始まる。そしていつか夢を振り返ったとき、かつてのそれは青春の1ページと呼ばれ、もてはやされ、懐かしがられるのだろう。塩水を吸った過去は、日に日に渇いてしまう。けれどそこには、こぼれ落ちた砂のあとが続いている。辿っていけば、ぼくはまた帰ることができるのだろう。あの日の海。星の海へ。

いつか感じた郷愁と潮風は赤錆となって。
かびの生えたスニーカーはかつて虹色だったのかもしれない。