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たかあきらのブログ

郷ひろみ、ロック、小説、熟女が大好き

              モナリザの秘密

 

1973年12月発売  売り上げ29.1万枚  オリコン最高2位

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「モナ・リザ」が日本初上陸して話題になっていた時に発売された曲で、イントロの時に手を広げ交互に天井に突き上げるアクションが印象的だった。

その後のライブでは、あまり歌われてなくていい曲なのにもったいないなぁ。

 

この頃から郷ひろみは英語に興味を持っていたらしく、歌番組の楽屋などでしきりにアグネス・

チャンに英語で話しかけていたそうだ。 以前にTVでアグネスが「デビュー当時に優しくして

くれた歌手は誰?」と訊かれ「郷ひろみさん」と答えていた。 遠い香港から知り合いの誰もいない日本に1人で来て心細かったアグネスに、一生懸命に拙い英語で話しかけてくれる郷ひろみに好意を持って当然だろう。

 

それからこれはアイドル雑誌で読んだ記憶があるんだけど、歌番組の楽屋で郷ひろみがアグネスに「今日の僕のステージ衣装カッコいいだろう」と自慢したら、アグネスは「全然カッコ良くないよ」とわざと冗談で言ったらしく、郷ひろみは本番で勝手に違う衣装で歌って番組スタッフに

怒られたという、何とも微笑ましい2人のラブラブエピソードだ。

              魅力のマーチ

 

1973年9月発売  売り上げ23.9万枚  オリコン最高2位

 

この曲は、郷ひろみがジャニーズ時代で一番人気のない曲なのではないだろうか。

その後にライブで歌ったという記憶がほとんどない。

途中の「優しい子が大好きさ」「優しい子はどこにいる」というセリフが印象的だけど、

私もあまり好きな曲ではなく、いいヴォーカルラインの曲なんだけどミドルテンポというのが

人気のない原因なのか。

 

この頃、フォーリーブスの後を引き継いで「プラチナ ゴールデンショー」という30分番組を

ジャニーズ・ジュニアといっしょにやっていたと思う。

ジャニーズ・ジュニアって9人いたと思うんだけど、マチャル、ジャンボ、板野くん、

チャーリー、八重歯で後のJJSの子しか憶えていない。

♪プトラとプトラとチトラ ディーマイヤ プラチナ プラチナゴールデンショー♪

♪君の日記プラチナ 愛の手紙プラチナ 誰にも言えない言葉 マイ プラチナ♪ だったかな?

ジュニアといっしょに何か歌とかゲームとかの楽しい番組だったような。

 

 

 

    

 

自動車運転免許を取るための合宿に参加するために、4月に2週間休ませてほしいという事を、

上司らとの面談で一応OKをもらった七原くんだが、現場の人達から不満が上がって上司も態度を硬化させて、七原くんがいない間に別の人員を補充するから、七原くんが戻ってきても、

その後どうなるか責任が持てないと言われたようで、七原くんは責任が持てないという意味が

まったく分からなかった模様。

 

あのね、責任が持てないというのは、現場から不満が出ているこんな状況でも無理やり2週間休むというのなら、七原くんが戻ってきても、これまでと同じように契約社員として雇えるとは確約できないという事だよ。

 

今回の件、早い話が七原くんは現場の先輩達に嫌われてしまっているからだよ。

先輩達からしたら仕事ができないとか、何かイラつかせるというのもあるんだろうけど、

やっぱり繁忙期の正月明けに休まれて迷惑をかけられたというのが大きいんだろう。

それに七原くんの出勤率や仕事ぶりを現場で実際に間近で見ている先輩達からしたら、

いつ会社を辞めるか分からないような奴に真剣に仕事を教える気にはならないのは当然だろう。

でも、運転免許は大事だから、会社を辞める覚悟で取りに行くべきだとは思うけど。

まぁテキトーに頑張ってみて。

 

              裸のビーナス

 

1973年6月発売  売り上げ38.6万枚  オリコン最高2位

 

郷ひろみしか着れないような凄い衣装だが、当時、秀樹も同じような衣装で被ってしまって、

少し先にひろみの方が、この衣装を出していたので、やむなく秀樹は片方の肩出し衣装を着るのを断念したという、秀樹ファンの怒り爆発というちょっとした事件があった。

 

この曲をTVで歌っていた最初の頃は、何かピョンピョンあっちこっちに飛び移るような

アクションで、歌の後半では息が切れてしまってまともに歌えてなかった。

だから、そのアクションは最初の2週間ほどだけで、歌うのに無理があるという事で、

それ以降は普通の振付に変わってしまった。

 

そしてもうひとつ、最初の頃は歌の間奏でフォーリーブスの公ちゃん直伝のバク転を披露していたが、それも慣れてなくて怪我でもしたら危険だからか、アクションの変更と共にやらなくなってしまった。

 

その郷ひろみのバク転といえば、紅白歌のベストテンで、この曲を歌った時に姉と私は郷ひろみのバク転を見ようとTVにかじりついていたが、何とバク転が始まる間奏の所でカメラが客席に

切り替わって、カメラがステージに戻ってきた時にはバク転が着地した所しか見る事ができなかった。 その直後、姉は日テレに電話してやると怒り狂っていた事は言うまでもない。

 

そして月刊明星の毎年夏の恒例企画

1973年 明星オールスター人気投票 男性部門

第1位 郷ひろみ、2位 野口五郎、3位 西城秀樹、4位 沢田研二、5位 フォーリーブス

 6位 森田健作、7位 ガロ、  8位 堺正章、 9位 にしきのあきら、10位 三善英史,

 

女性部門の第1位 天地真理、2位 アグネス・チャン、3位 浅田美代子

 

               

                  

     

 

  

              愛への出発(スタート)

 

1973年3月発売  売り上げ43.0万枚  オリコン最高2位

 

ジャニーズ時代の曲の中で「よろしく哀愁」に次いで売上枚数の多い曲で、

郷ひろみの人気を決定づけ、野口五郎を抜き去りアイドルの頂点に躍り出た曲だろう。

しかし、その後TVやライブでは、ほとんど歌われてはいない。

凄くいい曲だから、もっと歌ってほしいんだけどなぁ。

 

この曲の衣装はよく憶えている。 

銀のラメのジャンプスーツで、ベルトのバックルに大きなGOの文字。

そして、アクションもよく憶えている。 

♪でも僕たちはいつでも友達さ、悲しい時は飛び込んでおいでよー♪ の所のアクションを、

姉にダメ出しくらいながら最後のターンの所まで何度も踊らされた記憶がある。 

 

余談になるが郷ひろみと同時期にデビューしていた伊丹幸雄くんが、デビュー曲「青い麦」、

次の「合言葉」と波に乗りかけていたのに、第3弾シングルでコケてフェイドアウトしていった

けど、もし彼の第3弾が大ヒットしていたら新御三家じゃなくて、本当に四天王になっていたかもしれない。