夏に自宅庭の木に居て飼うことにしたコクワガタが、今日、旅立ちました。


昨夜から、様子がおかしかったので何度か手のひらやゼリーの上に乗せて声をかけてみると、

自転車を漕ぐように足を動かしたり、

大好きだった黒蜜を食べるような仕草をしていたり。


もがいていたのかな…

苦しかったのかな…


今年亡くなった愛猫も、きっと自分の最期を悟りながらも最後まで生き抜いてくれていました。


動物も人間も、自分の“そのとき”って、

どんな感じになるのだろうか。


コクワガタの息絶えていく姿を見て、哀しさと同時にどうにもしてあげられない自分はふとそう思い、姉のことを考えました。



もしかしたら…とは思ったことはありつつも、まわりが死期を感じとる事の出来ない、予測不可能な自らの死。

誰もその瞬間を気付かず、その場に居なかった。

あなたが最期を迎えた時、苦しくは無かっただろうか?


一瞬のことだったのか、

それとも、彷徨っていたのか…。

走馬灯のように、これまで過ごした日々が浮かんだりしたのだろうか。

もしそうだったら、

そこに私は映ったのかな…。


あなたが見た最期の景色を、わたしは知らない。

未だに何も、知らないままだね。



今年も開催された、お姉ちゃんがきっと毎年ひそかに楽しみにしていた花火大会。

事情により自分の住んでいたアパートを解約しなければならなくなった時、

その花火がそこからとても綺麗に見られたので、わたしにも見せてあげたかったと言ってくれていたね。


その時にきっとわたしは、

そこじゃなくても見られるから…というような返しをしてしまった気がします。


そうじゃなかったんだよね。

あの場所で、見たかった。

お姉ちゃんにとって一番の、特等席にわたしを招待してくれようとしていたんだよね。


長年口も聞かず、あなたを遠ざけて批判ばかりしていた妹のわたし。

それでも一緒に観たいと、そう思ってくれていたんだよね。


隣に並んで、「綺麗だね」と笑って、花火を見上げる姉妹の姿。

もう、叶わないけれど。幻想でしかなく、理想でもあったそんなふたりの姿を想像してみる。


いつかそっちに行った時に、今度またそっちの特等席を教えてもらおうかな。

そしたら、今度は一緒に観られるかな。


毎年、この花火大会は複雑な心境になるけれど、でも本当に綺麗で、わたしも観ています。

姉亡きあとは、夜空に広がる花火に姉を想いながら。


空にどんどん高く上っていく打ち上げ花火。


もっと高く、もっと高く。

お姉ちゃんのところまで届け!


そう願った自分がいたけれど、

あなたにも見えているのかな?

どこかで見ているのかな?


やっぱりせつなくなるけれど、

言葉も何も交わせないけれど、

この時は不思議と、あなたと同じ時間を過ごしているような気持ちになるんだ。


花火、お姉ちゃんも笑顔で見てくれていたら いいな。