落ち込んでいる、疲れ切ったとき。
見えてくるものは、本当の言葉だったりする。
本当はこうして欲しいとか、本当はこうだったらいいのにとか。
暗い中で見えるものは、小さな光は、本当の光だったりする。
本当はもっとゆっくり眠りたい。
本当はもっと、優しい思いを持って欲しい。
本当は、こんな疲れるような環境に身を置きたくないんだけど。
なんでこんなことしなきゃいけないんだ。
もっと、マイペースに動きたい。
もっと、誰にも気を使わずに堂々としていたい。
間違ってるって思われたっていい。
わたしはわたしの気持ちを堂々と、今ここで表現したかったんだ。
なにが悪い?
なんで、わたしを責めるのだ。
真実など自己完結で作るものだ。
今は今終わったものだ。
だから、この悲しい想いも、、切ない想いもさ、
終わったんだよ。
わたしの悲しみは今、終わったのだ。
なのに、なぜ悲しむ。
なぜ怒りを、持ち越そうとする。
わたしは、いつまで、終わりを引きずって、明日へ行こうとするのか。
人間は暗闇の中でいつも、光を探す。
わたしはやはり、誰のことなども、わからないのだろうと思う。
人の悲しみも、人の痛みも、わかろうとすればするほど、その人を傷つけることなのかもしれない。
あなたのことがわかるよ、などと簡単に言って仕舞えば、癒されるものなのかもしれないけれど。
本心を言って仕舞えば、わたしには他人の気持ちを一言一句間違うことなく、代弁することなどできない。
人は、自分の思いを汲み取ることだけしか、本当のことと思えるものなど、わからないのだと思う。
だからこそ、今、ここから、自分を創ることができるのだと、わたしは信じている。
ここから、自分の世界を始めて行くことだけしか、やはり、わたしにはできないのかもしれないし、それは、誰かとの共同作業なのかもしれないけれども。
ならば、目の前の人を大切にしたいと思い、わたしは、相手にとって喜ぶであろうことをしたとして、満たされるのだろうか。
それは自己犠牲の上だとしたらば?
それはわたしの本当にしたいことなのか。
あなたの喜びはわたしの喜びだと、心から言えないならば、
わたしの喜びと、あなたと喜びが、同じならばいいなと、わかり合いたい思いを、持ち合うことしかできないのかな。
お互いに大事にしたい仲間が、目の前にいたら、それはとても幸せなのだなと、思いましたとさ。
そんなわけで、今日も、どこかの誰かの幸せがあることを願ってみたり、してみたり、するのでありまする。
あんまり深く考えるのも、面倒臭いので。
この辺りで。←多分、もう相当面倒くさいですかね。笑
かしこ。
本日、良い天気でございました。
ああ、よく眠れそうじゃの