心底、思い知らされたことがある。
ここ数年、生きづらさを感じないような生き方にシフトしてみようと思い、いろんな本やらブログやらを読み漁り、知識を頭に入れた。
そして、ここ一週間、それを全て無くしてみた。
すると、だ。
残ったのは、
一周回った、それらは知識と言う名の、漢方薬のようで、じんわり、元の体に戻しつつ、結局戻っただけで、何も変わらなかったのである。
つまり、だ。
わたしの生きづらさは、元来何もからわず、結局のところ、いきづらいまま、である。
それらの類の本を読み漁り、を実践し続けた結果、
元に戻る。
つまりは、わたしは、このまんまのスペックでこのまんまであった。
つまりは、もう元々、そんなもの何もなくったって自分は自分のまんまで、
これはうまく言っているぞしめしめ、などと、漠然とした、ランナーズハイのようなものに取り憑かれていただけであった。
はい、残念。
しかし、しかしですよ。
わたしは、知識と言う名の、漢方薬を手に入れておりましてですね。
こちらは、と言うものの、
考え方であるところの、基礎の基礎を固めてくれたわけです。
なので、どんなに悩もうが、焦ろうが、失敗しようが、消えたかろうが、焦燥、焦り、苦しさなどなどが襲おうが、
なんてことない、どっしりしとれ、と、どこかでわたしが言うてるわけであります。
わたしがわたしのことを俯瞰してみてるって言うのはきっとこのことですわ。
なんだかんだで、人間あきらめさえしなければ、なんとかなると思うし。
なんとかってのは、人それぞれで違うけどね。
って、感じ。
わたしは、病的に悩みやすいし、病的に自意識過剰。
そして、他人のこともよく見えてしまうし、見られたくない部分まで見えるんだと思うよ。
だから嫌だと思う、自分のことをかくしてたい人は、わたしのこと嫌いだろうな。笑
人が嘘をつけばわかる。
わたし自身も嘘を自分自身に対してにつけないし。
狭いとこ、暗いとこ、人と密着するとこ、
三拍子揃わなくとも、はい、具合悪くなります。
友人と都内に行けば、具合悪くなってた。
「なんで、遊びいくと具合悪くなるの?」と、責められる始末。
個人的に理由なんて知らなかったわけですわ。
んでもってタチの悪いのが、スピリチュアルかじった人間ってば
「本人が、意識的に悪い方へ行こうとする説」を唱えるわけね。
はい、注目!これ、わたしですよ!
でもさ、そうでもねーのよ。
だって、元々、生まれ持って、敏感な人っているんだよね。
それってさ、単にそうであるだけなのね。
んで、スピリチュアル好きな人って、それを選ばれたみたいな特別感満載でいるじゃん。(個人的見解です)
なんか、それを嫌うスピリチュアルの人もいてなんだかもうアホくさいのよ。
えっとね、つまり何が言いたいかと言うと、
自分の感覚なんて他人は理解できないってことがわかると、ほんと、他人は色々言う、って話。
わかってそうな人も、知らない人も、なんだかわかんないけど、優しさとか思いやりとかをどっかに放り投げちゃうやつ。
で、どーのこーの
言ってきたけど、
今、もし、苦しいなあって何かを抱えてる人がいるとして、なんでこうなっちゃったかなあって考えてる人がいたとして。
それって、必ずしも、あなたのせいじゃないってこと。
少なくとも、あなただけのせいじゃないよ。
なんか、自分が見たいと思ったものを見てる、とか言うでしょ。
実際そうだと思うよ。
だけどさ、見ればいいと思うのよ。
あなたが美しいと思う世界が、今それだから。
別に他人がどう言ったっていいよ。
あなたが苦しいからってそれあなたのせいじゃない。
なんか、わかんないけど、そんな事を今、わたしは思った。
だけど、これは、ずっと、わたしがわたしに言いたかった言葉だ。
だから結局のところ回りに回って、わたしへ、なんだ。
ま、そんなこんなで、わたしは昔から変わらずの、不思議ちゃんで、変人で、個性的な人だったんだなあと、認めて仕舞えば楽になる。
そして、笑えたよ。
と、特別である、と言うことには、やはり優劣ではなくて、特性がある。
そして、その特性は社会的に、世間的に、とてつもない才能かもしれないんだよ、と、どこかの誰かさんに言いながら、どこまでもわたしに言ってあげたいなと思いました。
FIN