ここ数年勘違いしていたようなことがある。
わたしは基本、人があまり得意ではない。
人と接することがあまり得意ではない。
特に、自分のことを知ろうとしなかったり、他人のことばかり見ていたり、自分より他人の何かを見ているように見える人が、わたしには怖くてたまらないからだ。
だけど、中学の頃だ。
学年の主任の教師が、学校へ行かないわたしに
「他人は、その特定の人のことなど気にしてはいない」というようなことを言ってきた。
はあ、そうですか(こいつ何言ってんだ?)と思ったのだけど。
今思えばたしかにそうなのだ。
だが、少し語弊があるのだ。
たしかに、大多数の他人は大して特定の人のことなど気にしていないのだ。
だが、その特定の誰かとして扱われる人間は、自身との比較対象であり、比較対象として、一般と言われている自身より、比較の対象物でなくてはいけない、多くの場合、劣っていなくてはいけないのだ。
人は人の価値を、いたずらに、作り出すのだ。
その誰かの何かのプライドのような、なにかの価値観を守るためだけに。
今で言うところのマウント、だろうか。
そんなこんなで、わたしは人があまり好きではなくなったきっかけとは、やはり人である。
わたしが、人間、を嫌うのに、大した理由はないが、他人の顔色ばかり伺ってきたこともあり、わたし自身も、誰かも、他人のことばかり気にしているのは、やはり、あまりいただけないなあと。
もっと言うなら、お前らは自分を見ろ、と思う。
ネット見てんじゃねぇ、己はどうなんだ、と。
まあ、自分へもね。
まあ、戯言ですか。
ここ数年、人間というものを知ろうと努力をして来て、とても素敵だな、好きだな、と思う人たちにも会えたことはわたしにとっての財産なのだけど。
そのおかげで勘違いをした。
わたし人付き合いうまいかも??
あれ、人嫌いじゃないかも??
まあ、これが勘違いというかなんというか。
ふと湧く。
ここ数ヶ月で、結局のところ、わたしは人付き合いをそんなにしたいわけでもないと言うことに気づいてしまうのだ。
つまりは、何も代わり映えのないただの自分がそこにいたのである、どーーん。
ただ、それでいいのだ、と思える今がある分、成長しているのかもしれない。
人間は、分かり合えるから!ときっぱり言い切れるような人とは分かり合えぬわたしは、
人と話し合うことも、そんなにしたくない。
致命的ですな。
根本の違いを取り繕うことは好みではないのだ。
わかるよ、とか言われると、は??と思う。
人と人とは分かり合えない、と思うくらいの人の方が、わたしは話をしていて楽なのだ。
距離感の問題もあるけど。
あ、分かり合えない、と言うのは、意見をぶつけ合うためではないのだ、念のためね。
分かり合えないと言うのは、
他人なんだもの、違いがあって当然でしょう。
というか、どこか通じてる気もする。気もする。
気持ちの問題である。
私たちは分かり合えてる、それが本当だ、と言える方が気持ち悪いのだ。
もし、本当にそう思うのであれば、黙ってそう思っていただきたいものです。
過去に何度か、
「あなたといると、気を使わないで済むからほんと楽だ〜」
みたいな言葉をわたしにいってきた人たちがいた。
わたしの腹のなかは、
「お前は、気を使わないだろうな。
こっちがつかってるんだよ、気づかないのかよ。」という、腹黒ちゃんだったものでして。
というか、気遣いをしろということではなくて。
最低限、傍若無人もいいけど、誰かといる時間を大事にして欲しいなあという思いがあってのことなのだけどね。
気を遣わないで誰かといるなら、1人でいればいいと思うので、わたしは。
誰かを都合よく、サンドバックみたいにすることほど、非情なことってないよ。
親しいふりした、嘘の愛情という名の拳で殴ってくるとか何度経験したことか、わたしってば、、ごくろうさまでした。
そんなこともあり。
大事にしあえないのに、誰かといる意味わからん、のです。
それ都合いいよねぇ、みたいな、感じ。
大事なら大事なだけの態度がある。
あ、わたしの好みです、悪しからず。
人はそれぞれです。
それぞれですから、分かり合えなくていい。
分かり合えないから、知りたいし、わかりたいし、大事に思うし、同じ思いを分かち合えたんだと思えたときに、嬉しい、喜びが湧く、ありがたいなあって思える。
そう思える人と、一緒にいたいなあと思うのでありました。
と、そんなこんなで、人間はあまり好きではありません、という結論。
だけど、好きだなあと思える人もいるよってお話です。
通じる人いるのかなあ。
いたらいいなあ。笑