先日、ある編集者さんから送っていただいた本です






きみにあいたい<あかりが生きた239日、そして12時間> (講談社文庫)Bookきみにあいたい <あかりが生きた239日、そして12時間> (講談社文庫)

著者:samo
販売元:講談社
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2008年、ふたり目のお子さん(あかりさん)が、
妊娠13週に、システィック・ヒグローマ(嚢胞性リンパ管腫)と診断され
「流産になるか、障害が残るかも」と告げられたご夫婦が
妊娠中に夫婦交換ブログを始められました
「きみにあいたい」はそのブログをもとにしてつくられた本です

帯に書かれてあるように
「1万分の1の確率でも構わない、生きて、生まれてきてほしい」
妊娠を継続することに決めたご夫婦の
親として、人としての思いや、葛藤、闘いが伝わってきます

ただ、「周産期医療の現実と命の奇跡を伝える・・・」
とも書かれているように医療者(産科医)の僕には
周産期医療の現状を伝えるドキュメンタリーとしても
貴重な良書だなって思えました

読む方の立ち位置によって感じ方は異なってくるでしょう

診断を告げた産科医(周産期専門医)が
「・・・生まれたとしても、染色体異常や心疾患など重篤な障害を持って
生まれる可能性が高い・・・ 中絶する方が多い・・・」
という情報を伝えながら最後に
「ご夫婦でよく話し合われた結果ならば、
どんな選択をしても間違っていないと思います」と結んでいます

この状況で、なかなか言える台詞ではありません
個人としての思いだけではなく
病院の総意としての言葉でもあったのでしょう

この言葉が夫婦の選択に与えた影響は
とっても大きかったと僕は思います
だって、もし継続すると決めたとしても
受けとめてくれるんだって思えるのですから

そして、夫婦のくだした選択を
医師、病院は、実際に言葉どおりに尊重し
夫婦と赤ちゃんの命を支え
あかりさんは、生きて、生まれてきました

12時間だったけど
与えられた命をまっとうすることができました

悲しい結果だったけど
医療者、病院にとって
医療の限界や無力を突きけられた
単なる一症例(ケース)ではありません

そこから生まれてくる何かを感じさせてくれる
かけがえのないご夫婦とあかりさんとの時間として
スタッフの心の奥底にずっと生きつづける
物語をなってゆくのだと思います

そんな積み重ねが
医療者の中で、優しさとなって
つながってゆく・・
僕はそう思うのです

だからどんな状況でも
丁寧にかかわってゆくということが
大切だと思うのです

中絶の選択が悪いとは思いません
妊娠継続されたことを
ただ称賛しようというのでもありません

その産科医が話したように
「あなたが決めたこと、それこそが正しい選択です」
僕のサイトにも書いたもように



夫婦にはそのままの思いが尊重される「環境」があって
そこに決断があり、選択がありました
だから、ふたりはそのままの気持で
貴重な時間をすごすことができた

状況が違えば
この根っこがなければ
展開はまったくかわっていたことでしょう

誠意ある関わりに敬意と感謝!
それが僕の一番の感想でした

機会があればご一読ください

みなみさんこんばんは



 竹内先生、私の思いを温かく受け止めてくださり、ありがとうございます。

そうであれば、よかったです

 その後・・・ですが、4歳のお兄ちゃんと過ごしながらも、
 頭の中はいつも、亡くなった子のことでいっぱいです。


そうでしたか・・・ 



 母子手帳の、分娩の経過欄が、「正常分娩」とだけ書いてありました。
 正常ならば、生きていたではないか、おかしいと思い、病院に問い合わせしました。
 経膣分娩だから、正常分娩です、との答えでした。
 剥離の文字は、どこにもありません。仮死に印はついていますが、
 まるで普通に生まれ、生きているかのようです。


こういう場合の母子手帳の記録はいつも問題になります
僕はすべての経過をそのまま記載することが大切と思うし
実際、そうしていますが
たいていの場合、無難なこと?しか書かれていません
何も書かれていないことも多いと思います



そんな母子手帳を見ると
赤ちゃんはひとりの人間として大切に扱われたんだろうかって
いつも悲しく思います

病院側にどうして?って聞けば、
お母さん、家族に悲しい思いをさせないようにって
説明されるかもしれません

でも、それって、建前ですよね

そのまま書くと、医療過誤と思われるから?
そこから変に追求されるとこまるから?
いつもそのように書いているから?

何を言われたっていいじゃないですか
何でも言ってもらった方がいいじゃないですか

それって自分たちの都合でしかない
よかれと思ってやってきただなんて・・・

結局は、お互いの関係性が
「気になる、気にかかる」関係性が
できていないことにつきるのでしょうね

助ければOKでは、この仕事は成り立たない

今の産科がこえてゆかなければならない
大きな、大きなハードルだと僕は思っています

 あんなにひどい傷を作られ、かわいそうなわが子であったと思ってしまいます。

 命にかかわるかも知れない傷を作ったことを、
 搬送先の医師に伝えてもらえなかったことも残念に思います。


そうですよね
自分の子に、理由もよくわからず、ひどい傷がついていた・・
どうして?かわいそう!って思うのは、自然な感情です

グリーフケアの講義では
どんな場合でも、赤ちゃんを丁寧に扱うことが大切って話していますが
結果的に、もし、そのような傷ができてしまった場合
後からでもいいから、家族には、その経緯を説明し
「お子さんを傷つけてしまいました。本当にごめんなさい」って謝ること
それは、人としてあたり前のことだと思います

それは医療をこえた問題のはず

赤ちゃんの蘇生のため、仕方なかっただけでは
正当化されないと、僕は思います

もし、命の現場にかかわるスタッフが、
そんな意識を持てないのだとしたら・・・

医療者側、患者側、お互いにとって、悲しく、とても不幸なことだし
それが、今の産科の閉塞的な現状の一端を表しているのかもしれません

 カルテ開示に立ち会っていた方に質問しましたが、
 「問題のない正常な分娩では、助産師だけで産むこともある」と強く言われました。
 正常でもなく、問題もありました。
 でも、突然のできごとは、仕方がなかった、で片付けられてしまうのでしょうか。
 問題がある妊婦ならば、もっとよく診てもらえるのでしょうか。
 大切に扱ってもらえるのでしょうか。
 順調な妊婦は、分娩では軽視されてしまうのでしょうか。 
 順調だから、どうでもいいのでしょうか。



説明と言うよりは言い訳に聞こえてしまいます
それでは歩み寄ることはできませんよね

問題があってもなくても、大切に扱うし、扱われる
人が人である限り予期せぬことが起こる産科では
人が行っている限り、過誤かなくなることのない医療では
そんなプロセスが一番肝心なこと

でも、みなみさんは大切にされたって感じられなかった・・・

 しばらくは、泣いていたお兄ちゃん。
 4歳のお兄ちゃんは、弟の写真と一緒にをおままごとをしたり、
 元気になりますように、と仏壇に手を合わせ、誰よりも優しいお兄ちゃんです。
 でも最近になって、お兄ちゃんは、赤ちゃんをみかけたりすると、
 ときどき狂ったように変な状態になることがあります。
 小さな心に、深い傷を背負わせてしまうことになってしまいました。
 4歳児らしく過ごせるように、
 お兄ちゃんを温かく受け止めなければならないと思っています。


お兄ちゃん、そうでしたか・・・

 亡くなってから10日もたたないうちに、1ヶ月健診となりました。
 赤ちゃんに会わないように、時間をずらしてくれましたが、
 重い足取りで産婦人科へ向かいました。
 出産のときの先生が、受付のひとと笑って話をしていました。


 私はこんなにも悲しいのに、先生は笑えるのだなあ、と思っていました。
 先生にとっては、もう終わったこと。
 残された家族のこと、小さな兄の苦しみも、どうでもいいことなのでしょう。



そう思われても仕方がないですよね
そうではないと思いたいけど
本当にそうなのかもしれません

ただ、もしそうであったとしても
みなみさんが来ることがわかっているのに
どうしてって思います・・



 健診は、別の先生でした。
 何でも聞いて、と言われましたが、
 亡くなってから数日、ただ悲しいだけだった私。
 この先生に、私は何を聞けばよいのだろう、という思いだけでした。


どうして別の先生なの???

「何でも聞いて」や「いつでも連絡ください」は
優しそうな言葉に聞こえるけれど
関係性ができていない相手には
何も聞けないし、連絡など、とうていできませんよね

 担当の助産師さんたちは、一生懸命だったのだと思います。
 感謝しています。
 でも、担当以外の方は、私が入院中も、皆事務的な感じで、
 わが子と離れての入院中は、孤独と寂しさ、
 悲しみに耐えるのが、つらかったです。


そうでしたか・・・
つらかったですよね
多くの方がみなみさんと同じ思いをされているのでしょうね

 ただひとつの救いは、NICUの先生や、看護師さんに、
 息子はたくさん声をかけてもらい、かわいがっていただくことができたことです。
 ゆっくり話を聞いてくださった、その病院の助産師さんにも、感謝しております。


そうですか、本当によかったです

大切に、丁寧にかかわってくれれば
どんな状況であっても
そこから、何かが生まれてくる
僕はそう信じています

 育ててあげることはできませんでしたが、
 17日間、誰よりも頑張って生きていたあかちゃんがいたことを、
 みんなに伝えていくことが、
 今私にできる、母としての役割なのではないかと思っています。


そうですか・・・

大切な役割ですよね

でも、本当にそれだけでいいのだろうか

関わった産科の先生に「どうして?」って、
直接話を聞きたい。僕は、正直、そう感じました

それは、彼(ら)を責めたい
彼(ら)と対決したいというのではありません

自分たちが関わったお母さんが、
彼(ら)の言葉をどんな思いで聞いていたのか
そして、どんな思いで今生きているのかいうことを
知らないこと、知らないようにしていることは
彼らにとっても、不幸だと思うからです

そして、彼(ら)はどういう思いでその場にいだのかを
彼(ら)自身の言葉で聞きたいからです

このままだと、また同じことの繰り返しで
医療者と患者、お互いの溝が
より拡がるばかりじゃないか・・・と思うからです



辛いことでしょうが
今後、改めて説明を聞きに病院に行くというのであれば
僕も一緒にうかがわせてもらえませんか?

そんな時間の積み重ねって
大切なことじゃないかって、僕は思っています

みなみさん、教えてくれてありがとう
お大事にね

りえさん
はじめまして

 この記事の妊婦さんの様に、39週でのIUFD、死産を経験した者です。
 原因は赤ちゃんのお腹の根本での臍帯過稔転でした


そうでしたか・・・

 それからの心身の回復は壮絶なものがありました。

・・・

 気持ちの波の中で時が過ぎても消せない一番の事は
 自分を責める気持ちです。
 何故気付かなかった?
 何故もっと早く受診できなかった?
 何度も何度も苦しみました。


そうでしたか

 だから竹内先生の記事を目にした時、
 あぁって思う事が出来ました。
 仕方ない事と理解していても責める気持ちは無くならない…


そうですよねえ

 その気持ちとの折り合いもつかない毎日でした。

そうしたか・・・
辛かったですよね
今はどうなのでしょう

 これからのご活躍期待しています。

ありがとう

僕もそのままの自分で
できることと、頑張ってやっていきたいです