Kitaさん
こんばんは

 許す=許される関係を築く事、それができていれば、
 尊い命を失ったとしても人を裁くことや、
 怨むことはできないんじゃないかと思います。

僕もそう思っているし
そうであってほしいです



  医師も人間です。
 毎回、毎日、100パーセントの状態で患者と
 向き合えない事があるのは
 当たり前だと思っています。
 だからこそ、そこに信頼関係が
 一番必要だと私は思います。



そうでなければいいんだけど・・・

毎日、ひとりひとり丁寧にって
思っているけれど

あの時にああしていればって、思うことがあります

でも、もう一度、時間を
遡ってやり直すことできないから・・・

そんな体験が経験として次につながってくれれば
って思います

 私は自分で本当に信頼できる主治医に出会ってからは、
 逆に信頼しているからこそ、
 私の診察の時は少しは気を休めてほしいな。
 とも思えるようにまでなりました。


そうでしたか
その先生、きっと医師冥利につきますね

 信頼関係がないと本当に患者は常にピリピリしています。
 何でも疑ってかかります。
 そんな状態では医師という仕事も気の毒に思えてなりません。



確かに、そうですよね
患者がピリピリだと
医師もまたピリピリだしね

 それは逆を言えばそれだけ疑問を感じる
 医師もいるという現実でもありますが・・・。
 だからこそ、本当に自分にあった主治医を見つける事は
 私達患者側の自己責任でもあるような気がします。



医療という仲介はあるけど
結局は人と人
僕も、そうした関係を築けている方々と
日々、触れ合うことで、元気をもらっています



先の392で

 ただ、裁判で解決できるものって何なんだろう
 何か重いものを感じています


って書きました

その一つの理由は
直接関わった主治医や医療者が
その時何を思っていたのか
今はどう感じているのかという
そのままの気持ちが
見えてこないことです

医療者も様々な思いを
抱えています

本音に蓋をして
日々を送っていることも多いでしょう

でも、それを素直に表現できる場
がなかなかありません
あったとしても、そのままの気持ちを
出すことは難しいでしょう

いくら請求が棄却されたからといって
世間やメディアの見方が急に
変わるものでもありません

どう表現しても
本心を理解してもらうのは難しく
ただの言い訳ととられたり
非難にさらされるだけかもしれない

ご家族(遺族)を傷つける
可能性も高いでしょう・・・

それだったら、沈黙をつらぬいた方が
と考えるのもやむおえないかもしれません

それでも、自分の思いを
自分の言葉で正直に語ることって

双方にとってとても大切なことだと思います

もし、裁判が、関わった医療者と家族の
気持ちやそのままの思いが
かみ合う場として機能するのであれば

なくなった命の意味を
感じ、模索することにもなるんだろうけど・・・

許す-許される関係が築けてゆけなければ
産科は、開けてゆけないって
僕は、思っています

何をどうしてゆけばいいんだろう

平成18年に奈良県の大淀病院で
分娩中に意識不明に陥った高崎実香さんが、
19病院から転院を断られたすえ、脳出血でなくなりました。
その後、夫らが診断ミスが原因として
町と担当医に約8800万円の損害賠償を求めましたが
昨日、大阪地裁は、「最善の措置をして直ちに搬送しても
病態の進行が急激で救命の可能性は極めて低かった」と、
請求を棄却しました。

「残念、実香に申し訳ない・・・」
「主治医は、きちんと観察をせず
仮眠をしていたこと、謝罪してほしい」
会見で夫はそう話していました。

実香さんの死の意味を
模索できない夫の無念が伝わってきました

ただ、このケースは
客観的には地裁の判断は妥当だったと思います。

仮眠と言っても、主治医は実香さんのことを気にかけて
経過を見ていたのだと、僕は信じたい。

それでも、結果として、実香さんはなくなられてしまった

すべての経過を見てもらっていたとしたら・・・
「実香さんの命を救えなかったこと申し訳けございませんでした」
と病院が、医師が家族に謝罪をしていたとしたら
謝罪ができる関係であったら・・・

どう展開していたんだろう・・・・



また、大淀病院の院長は
「さまざまな観点から審理が尽くされた結果であると受け止める。
今後病院として医療体制の充実に努力していく。」
と、コメントしました。

はたして、医療体制の充実で
対応できることなのだろうか?

僕は違和感を覚えました

結果が悪いイコール、医療過誤ではありません
そういう観点からは
医療側にとって大切な判決です

ただ、裁判で解決できるものって何なんだろう
何か重いものを感じています