自分の誕生日•月に両親を想えるようになったのは、ごく最近です。
私には娘が1人。
子育てを始めて10年以上経つ今でも、
とてもじゃないけれど、子育てはこうするべきだーという思想はなく
むしろ、常に、一喜一憂。
海外に暮らしている事もあり、自分の親•義理の親からの監視の目も届きにくいので
自分の言動や行動が間違っていたとしても、指摘してくれる人が少ない……
と言うか旦那さんぐらいしかいない。
中学生になった娘は、
家の中で、バレエの動きでクルクル回り足を高く上げて、
学校のコーラスグループの歌を歌いながら移動して、
宿題忘れてたーと言いながら、漫画のように、サンドイッチを咥えながらキーボードを叩いて
本を読んでいる時とピアノを弾くときは、話しかける人を無視して
何でも食べ、私の倍以上の量を食べ
シャワーをサボり気味で
ベッドの中で歯磨きをして
脱いだ服は、そのまま
どこでも寝られる体質で
泳ぐのが好き。
いつも笑っていて、たまに泣いていて、忙しなく成長していく彼女を見ていると、
『きっと今の所、私達の子育ては大丈夫だろう』と、気が抜ける。
……と、痛い目をみる。
まさに、悲喜交交。
私自身が中学生の時は もっと親に心配をかけていた、と思うけれど。
オーストラリアと違って、
私の子供時代に住んでいた地域は、夜中の1時まで電車が動いていて、朝まで開いている店や24時間営業のファミレスも自転車で5分以内にあって。
ベッドの布団の下にブランケットを丸めて、玄関から、そーっと出て、夜の11時頃まで
近所のファミレスで友達と話していた。
初めて遅く帰ってきた時は興奮しすぎて、ベッドに入った後も眠れなかった。
冒険した気分。
月に1回、夜中にそーっと抜け出すようになって半年、
11時過ぎに帰った私は、いつものように音を立てずに、玄関のドアをゆっくり そーっと開けると、
ドアを開けて正面に、椅子に座った父がいた。
ドアに向かって座って、本を読んでいた。
驚いた私。
人間て、驚くと、本当に仰け反るのね。
驚きすぎたからか、私は何も言わずに父の横を通り過ぎて、自分の部屋のドアを開け、
背中越しに後ろに首だけ向けて、
小さく『おやすみ』と言った。
私の部屋のドアが閉まる瞬間に、父が
『おやすみ』と言った。
怖すぎる。
でも、すぐに嬉しかったのを覚えている。
部屋に入ってすぐ、ドアに耳を立てていたら
ガタガタと、椅子を片付ける音がしていた。
父は仕事で、次の日の朝も早いはずと、知っていたから。
これ以上、効き目のある お説教はない。
いつか娘に使うのかな。