クロード・ドビュッシー(1862-1918)はフランス生まれ。
印象派(見たものを写す)、と言われるし、
象徴派(目に見えない世界や観念を写す)、とも言われる。
“印象”は、最初は、“スケッチ”という意味で使われていただけなのだし、極めれば2つは繋がっていると思うけれど・・・どうなのだろう。
まあ良いか。
当時のフランス
クロード・モネ(1840-1926)、ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)、エドガー・ドガ(1834-1917)などの印象派(impressionism)の画家とも接点があり。
一方で、この時代は作曲家は詩に曲を付けていた事から
ドビュッシーは象徴派(symbolism)の詩人のシャルル・ボードレール(1821-1867)を愛し、例えば彼の『悪の華』(押見修造の漫画「惡の華」は、ここから)から5編も選び曲を作っているし、同じく詩人のステファヌ・マルラメ(1842-1898)との交友は有名。
ドビュッシーといば、13歳年下の作曲家モーリス・ラヴェルが、よく比べられる。
ラヴェルの父親とドビュッシーが接点もあり、(ボードレールが愛した)エドガー・アラン・ポーや、ボードレール、マルラメをお互い好きだという共通の好みからも、きっと良い友人だったのだろう。
私は、小学生の時に江戸川乱歩にハマり、当時近所に住んでいた“ハズキちゃん”という お姉さんが、読み終わった100冊以上の本をくれて、文字通り、毎日読んでいた。
(彼女は後に雑誌で連載を持ち、小説家デビューした)
すると、江戸川乱歩はエドガー・アラン・ポーから来ている、と父から聞き、衝撃を受けた私は
すぐに、ポーを探しに図書館へ行き『黄金虫』『黒猫』を読んだ。
当時は、文章を覚えているほどに読んでいた。
それから、ポーを好きだった、という人を探せば良い、と気づいた。
小説だけで無く、音楽や、絵画や、遊ぶ友達も。
好みが一緒の友達は、教えてもらうことも、やはり楽しい。
やがて、服の好みも似てきて、
自分が買った服と同じ服を買っている友達を見た時に、違和感があった。
『あ、同じは嫌だ』と思った。
それが、ラヴェルとドビュッシーに起きてしまうのが
ドビュッシー『La Soirée dans Grenade(グラナダの夕べ)』
ドビュッシーの『版画(Estamps)』に入る3曲のうちの2曲目で、
曲を通して、ハバネラ(スペイン・キューバの音楽様式)が、ほぼ全てで使われる。
ハバネラで有名なのは、ビゼーのカルメンかな。
タン•タタ-タ-のリズムで、エキゾチックな印象。
ラヴェルの『耳で聞く風景(Les sites auriculaires)の“ハバネラ”』に似ているとしてラヴェルがクレームし、両者は疎遠となったらしい。
ハバネラの独特のリズムは、ラヴェルの専売特許という訳でも無いし、曲もそんなに似てないし。
実際は、スペイン系の母親を持つラヴェルが、スペインに行ったこともないドビュッシーに文句を言ったということなのだろう、という東賢太郎氏の意見に賛成。
とにかく、
このドビュッシー『La Soirée dans Grenade(グラナダの夕べ)』を
娘が練習中で、毎日聞かされている。
アナリゼは難しくないようだけれど、
出来れば歴史も勉強していただきたく、
英語の資料を探すという、大変な作業中。
日本語で読んでほしい。。。。。