ドビュッシー『La Soirée dans Grenade(グラナダの夕べ)』 | オーストラリア暮らしログ

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2011年にオーストラリアへ移住。旦那さん、娘と3人暮らし。嘘、偽りのない、オーストラリア暮らしの日々を書きます。MDSというレア疾患持ち。

クロード・ドビュッシー(1862-1918)はフランス生まれ。

 

印象派(見たものを写す)、と言われるし、

象徴派(目に見えない世界や観念を写す)、とも言われる。

“印象”は、最初は、“スケッチ”という意味で使われていただけなのだし、極めれば2つは繋がっていると思うけれど・・・どうなのだろう。

まあ良いか。

 

当時のフランス

クロード・モネ(1840-1926)、ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)、エドガー・ドガ(1834-1917)などの印象派(impressionism)の画家とも接点があり。

一方で、この時代は作曲家は詩に曲を付けていた事から

ドビュッシーは象徴派(symbolism)の詩人のシャルル・ボードレール(1821-1867)を愛し、例えば彼の『悪の華』(押見修造の漫画「惡の華」は、ここから)から5編も選び曲を作っているし、同じく詩人のステファヌ・マルラメ(1842-1898)との交友は有名。

 

 

 

ドビュッシーといば、13歳年下の作曲家モーリス・ラヴェルが、よく比べられる。

ラヴェルの父親とドビュッシーが接点もあり、(ボードレールが愛した)エドガー・アラン・ポーや、ボードレール、マルラメをお互い好きだという共通の好みからも、きっと良い友人だったのだろう。

 

 

私は、小学生の時に江戸川乱歩にハマり、当時近所に住んでいた“ハズキちゃん”という お姉さんが、読み終わった100冊以上の本をくれて、文字通り、毎日読んでいた。

(彼女は後に雑誌で連載を持ち、小説家デビューした)

すると、江戸川乱歩はエドガー・アラン・ポーから来ている、と父から聞き、衝撃を受けた私は

すぐに、ポーを探しに図書館へ行き『黄金虫』『黒猫』を読んだ。

当時は、文章を覚えているほどに読んでいた。

 

 

それから、ポーを好きだった、という人を探せば良い、と気づいた。

 

小説だけで無く、音楽や、絵画や、遊ぶ友達も。

好みが一緒の友達は、教えてもらうことも、やはり楽しい。

 

やがて、服の好みも似てきて、

自分が買った服と同じ服を買っている友達を見た時に、違和感があった。

『あ、同じは嫌だ』と思った。

 

 

それが、ラヴェルとドビュッシーに起きてしまうのが

ドビュッシー『La Soirée dans Grenade(グラナダの夕べ)』

 

 

ドビュッシーの『版画(Estamps)』に入る3曲のうちの2曲目で、

曲を通して、ハバネラ(スペイン・キューバの音楽様式)が、ほぼ全てで使われる。

ハバネラで有名なのは、ビゼーのカルメンかな。

タン•タタ-タ-のリズムで、エキゾチックな印象。

 

ラヴェルの『耳で聞く風景(Les sites auriculaires)の“ハバネラ”』に似ているとしてラヴェルがクレームし、両者は疎遠となったらしい。

ハバネラの独特のリズムは、ラヴェルの専売特許という訳でも無いし、曲もそんなに似てないし。

 

実際は、スペイン系の母親を持つラヴェルが、スペインに行ったこともないドビュッシーに文句を言ったということなのだろう、という東賢太郎氏の意見に賛成。

 

 

とにかく、

このドビュッシー『La Soirée dans Grenade(グラナダの夕べ)』を

娘が練習中で、毎日聞かされている。

 

アナリゼは難しくないようだけれど、

出来れば歴史も勉強していただきたく、

英語の資料を探すという、大変な作業中。

 

 

 

日本語で読んでほしい。。。。。