もう少し、がんばっていきましょう。


前回は、


渦巻き模様は


女性を


表しているのではないか


という


配信をさせて頂きました。 




今回の記事も


写真集の中の


渦、渦巻の


考察を載せていきます。 


渦模様から


縄文時代についても


書かせて頂きました。


(以下、記事引用)


『聖なる図形』


 渦・渦巻き模様。

 Scroll(英)、Volute(仏)


 渦巻記事模様は


 水や大気の流れ、銀河、台風など、


 自然の中に見られる動きである。


 




 遺跡などに


 この模様があるのは、


 古代の人が


 現代人よりも


 敏感な感覚を持っていて、


 見たものを


 表しているのかもしれない。


 また、


 先史時代の彩文土器をはじめ、


 世界各地に


 広く見られる装飾模様でもある。


 中国では


 甘粛仰韶文化の


 陶器、殷(商)・西周時代の


 青銅器などに見られる。


 戦国・漢時代以降は


 中国風意匠の基調となっている。


 ギリシャ建築における


 イオニア式オーダーの桂などに見られ、


 渦巻装飾とされる。


 日本では


 縄文土器の


 前期初頭に


 蕨の若芽状に巻いた文様があり、


 中期には 


 隆起線文が現れる。



堂平遺跡出土 王冠型土器



 アイルランドの


 ニューグレンジの巨石、


 



 オーストリアの


 ハルシャットの装飾品などにも見られ、


 各地で


 渦巻き文が


 かなり早い時期から


 描かれていたようだ。


 ケルトの装飾模様に多い


 渦巻き模様は


 より複雑な表現へと発展した。」


記事を引用させて


渦・渦巻模様について


配信させて頂きましたが、


下の写真に載っている


渦巻く銀河を


表現している様にも見えますね。


宇宙と言ったらいいでしょう。


  

また、


別の考察もあるので


書かせて頂きます。


「日本で


 縄文山岳人であったという


 山窩の人々が使っていた


 縄目文字があり、


 いわゆる


 縄暖簾(なわのれん)がそうです。





 一般の人が見ると


 あの縄暖簾(なわのれん)は、


 単に縄を横列させてぶら下げ、


 居酒屋などで


 入り口を飾ったり


 看板に使っていると思われていますが、


 あれは微妙に


 縄の結び目を組み合わせた縄目文字で、


 たとえば、


 山窩の言葉で


 「いらっしゃいませ」とか


 「今日は大和王朝の官憲が


  来ているから用心しろ」


 などの合図を送っている文字盤です。」





また、別の考察、


磯菜天満宮 踏まずの石からの


見解もあるので


書かせて頂きます。


 「縄目の


 左側は陰(死や不吉)


 右側は陽(生と吉祥)を表すものだ」






この事から、


縄文土器の


縄目文様は


単なる


装飾をしたものではなくて


女性を  


表現する物であったり


宇宙を 


表現する物だったり、 


縄目文字で


何かを表現する物だったり、


陰陽で


お守り、祈りを


表現する物から


きている


可能性もあるかもしれない。


そして


最後に


縄文土器、縄文時代の


学者の方の


考察を書いていきます。


 「土器の所見は


 メソポタミアとされ、


 そこから、


 「世界文明の祖国」


 と称されることもあったが、


 縄文文化の土器は


 メソポタミアより


 6千年〜7千年は古く、


 1万2千年前まで遡るものが 


 珍しくなく、


 最近では


 太平山元遺跡(青森県蟹田町)から


 1万6千〜1万5千年前とされる


 土器が出土して話題になった。




画像 大平山元遺跡ホームページより



 メソポタミアよりも


 6千〜7千年も


 古いというのは重大だ。


 “世界史の序章”が


 完全に書き換わるからである。


 そして、


 縄文時代の人といえば


 たいていの場合、


 粗末な毛皮の衣をまとって


 野山の獣や鳥を追いかけたり


 野生の植物や木の実を求めて


 放浪する姿が


 想像されてきた


 これまでと異なり、


 豊かな暮らしがあったことも


 明らかになってきた。


 “日本史の序章”も


 完全に書き換えられつつある。


 そもそも


 裸同然のかっこうで、


 寒い冬などに


 捕まるか捕まらないか


 わからない獲物を


 追いかけるなどということが


 あるはずないのに、


 勝手にイメージしてしまったのである。





 どうして、そうなったのか?


 妙なことであるが、


 いつの間にか


 考古学の常識として


 「水稲栽培(水田による稲作)が始まる


 弥生時代になって


 初めて集落が出現し


 定住生活が始まった」


 という定説が出来上がり、


 あたかも真実であるかのように


 語られてきたからだ。」



縄文時代は、


私達が 


学校で習った時代とは


違うのかもしれない。


古代のロマンに


想いを馳せて


縄文を掘り下げる


学者の方がいるのも


理解できますね。




学者の方の書籍から

文面を引用させて、  

書かせて頂きました。







■自己紹介
麟(うんりき)
 
世界のねこ島で話題の相島で
丘の上の美術館を開館して大成功をおさめました。
 
全身猫スタイルで、新宮ー相島間をフェリーで行き来する、別名 猫っ子で活動させて頂きましたあしあと
2019年、ねずみ年を目前に、相島の猫っ子を退いてネズミさんに譲り、ニャンと言ってネズミさんを応援する事にしました🐾
 
薬剤師をしていて、長く薬で治療をしている患者さんを見て、メディカル、ケミカルではない、人を感動をする分野がある事に気付きました。 試験管から見る美の世界をテーマにして、芸術の仕事をさせて頂いています!
 
参考記事


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