静岡県三島市にある三嶋大社⛩️
大山祇命、積羽八重事代主神
御二柱の神を総じて三嶋大明神と称しています。
大山祇命は山森農産の守護神、また事代主神は俗に恵比須様とも称され、福徳の神として商・工・漁業者の厚い崇敬をうけます。
三嶋大社の創建年については不詳ですが、927年(延長5年)にまとめられた「延喜式神名帳」に名前が記載されていることから、奈良時代から平安時代には創建されていたと考えられています。
たたり石
大社前旧東海道と下田街道の真ん中にあり、行き交う人の流れを整理する役目を果たした。
たたり(絡垜)は本来糸のもつれを防ぐ具であり整理を意味する語である。
後に往来頻繁になりこれを取り除こうとする度に災いがあったと言われ祟りに置き換えて考えられる様になったと言われている。
約2900年前の富士山噴火により運ばれたと石とされる。
相生の松
黒松と赤松が一つの根から生え出た松
源頼朝が源氏再興を祈願した際、側近の安達藤九郎がこの地で警護をしていたと伝える。
この境内の外に生える木は樹齢600〜700年
このケヤキも600年
三嶋大社は源頼朝をはじめとして、武士との縁が特に深い神社。
「平治の乱」で敗れ、伊豆に流された頼朝が「平家」 打倒を目指して挙兵した際に、戦勝祈願を行なった場所としても知られています。
「鎌倉幕府」成立後も、頼朝をはじめとした鎌倉 幕府の将軍が参拝。そして南北朝動乱によって戦が増加すると、武将による戦勝祈願がさらに増えました。
神池を渡る橋
神池
元暦2年(1185)8月、源頼朝が放生会を行い、その際糠田郷・長崎郷を三嶋社の料と定めた。(吾妻鏡)
めちゃくちゃ鯉が餌を目掛けてやってくる
厳島神社
祭神 市杵島姫命
北条政子が勧請し殊の外信仰したと伝えられる。
当社は家門繁栄・商売繁昌・安産・裁縫等の守護神として広く信仰されている。
辨天様とも称され芸事上達の信仰もある。
総門
建築中の昭和5年伊豆大震災にあったが昭和6年三月竣功
初めて台湾檜が使用された昭和の神社建築の代表的建物の1つに数えられ格調の高さは有名である。
当時の内務省神社局技師角南隆氏の設計監督である。
三島市指定文化財。総門の注連縄は、重さ400kg、太さ2m、長さ6.4mもある。
〆縄がスゴい
不思議な形をした梅の木
今年は暖冬のせいか結構咲いてるわ
美しい形の屋根
こっちは早咲き桜の白浜伊古奈
🌸
矢田部盛治像
嘉永7年(1854)11月の東海大地震で倒壊した社殿を10年の歳月と16,677両という巨費を投じて見事に復興し明治維新は大総監宮の先導警護及び明治天皇の御通行警護を奉仕し祇園山復にトンネルを掘り上流から水を引いて祇園原の荒地15町歩余りお美田と化した住民の感謝敬慕の念により昭和29年建立された。
作者は文化勲章受賞者澤田政廣。
腰掛け石
源頼朝が源氏再興を祈願した際、腰を掛けて休息したと伝える石(左側)と北条政子が腰掛けたと伝える石(右側)。
神馬舎
慶応四年(1868)竣功。古くから当社の神馬は毎朝神様を乗せて箱根山に登るという伝説が伝えられ、子供の成長と健脚を祈る風習がある。
伊勢神宮の神馬と同じで殆ど動かない
と思ったら、作り物じゃん
神門
慶応3年(1867)竣功。三島市指定文化財。
御殿・舞殿と同じく小沢派による精緻な彫刻が施される。
舞殿
慶応3年(1867)竣功。三島市指定文化財。
年間を通じ様々な神事、奉納行事が執り行われる。
御殿と同じく小沢派による精緻な彫刻が施される。
本殿
慶応2年(1866)竣功。国指定重要文化財。
本殿・幣殿・拝殿、三つの建物が連なる複合社殿。
総けやき素木造りで、伊豆の名工小沢半兵衛・希道父子一派による彫刻は精緻で高い完成度。緒神事の他、正式参拝や御祈祷を執り行う。
美しいシルエットだわ
伊勢神宮で買った御朱印帳にね
金木犀
国天然記念物指定。樹齢1200年と推定され、毎年9月上旬と下旬に2度満開を迎える。薄い黄色の可憐な花をつけ、甘い芳香が特徴です。
大好きなのよね金木犀の香り
芸能殿
安政の東海大地震の復旧工事で時の神主矢田部式部盛治により慶応4年2月11日に完成した旧総門で、昭和5年の伊豆大震災後現在の総門が落成したため一時他に移したが戦後再建し一部改造の上芸能殿として保存している。
例祭の神賑行事や年間を通じ様々な奉納芸能が行われる。
真っ平な床
神鹿園🫎🦌
雄同士が角で闘う、その音がスゴいのだ
春だからね〜
そこら中でやりまくってる
この雄同士のケンカもよく見てたら女の奪い合い
鹿も人間も同じだわww
富士山の湧水だろうめちゃくちゃキレイな水
そこに咲く梅の花
三島大社の遷座
噴火による「三宅島」島内での遷座の後
伝承には三島大社は本来この地に鎮座しそのあと
①「三宅島 富賀神社」→
➁「白浜海岸 白浜神社」→
③「大仁町 広瀬神社」→
④「三島市 三島大社」と遷したとする説があります