さて、今回は医の本質について、怖れをこえて、

 

もっと深い部分について綴っていこうと思います

 

 

これから書いていく内容のことを言うと(書くと)物凄く厳しいご批判を受けること(特に医療関係者から)になりますが、

 

それはとても残念なことでもあり、またある意味仕方のないことなのかもしれませんが、そこを覚悟の上で、敢えて書かせていただくとします

 

 

 

医の本質が、自分と真正面から向かい合うプロセス、本当の自分に近づく道だとすると

 

医師や歯科医師、その他セラピスト、ヒーラー、何であれ、

 

安易に病気を治してしまうのは、

 

本当は患者さんクライアントにとってかえってマイナスになることもしばしばあり、

 

その点は施術側はよくよくその状態を見極めることができないと

 

本当の意味でも医療をしていることにはならず、

 

かえって病気の上にさらに病気の種を増やすことになり得ることを念頭に置いておかなければならないのです

 

もちろん苦痛や苦悩は対症療法的に早期に取り除かれるべきだし、

 

現代医療、代替医療を否定するものではありませんが、

 

それがあくまでも原因の根本解決ではなく、対症療法の一つであることを、

 

施術するほうも施術される方も客観的全体的視点から確認しておかなければならないことも事実です

 

施術者の最大の目的は、病気を治すことではなく、

 

ひとりでも多くの人が、自分と向き合い、

 

分離意識から統合の意識に目覚め、心身の不調和を解消し、

 

この地球に調和をもたらすことなのです

 

何故なら、一人ひとりの生命(場)が、地球全体の生命(場)を創っているからです

 

一人ひとりも、地球も、宇宙も同じ生命体なのです

 

 

病気は、身体の反応、つまり、お知らせなのですね、、

 

 

そして、病気のからくりを別の角度から申し上げると、こういうことが言えます

 

無意識と身体は直結しています

 

無意識は条件づけ(観念、信念、思い込み)を含んでいます

 

これは生まれながらにもあるのですが、

 

条件付けとは、自分がそうだと思いこんでいる、思い込まされているもの、そう信じているもの、

 

こういう両親をもって、そこで生まれて、そういう学校へ行って、こういう会社にいって、いまこんな生活をしていて、こういう身体をもって、自分はこういう性格で、こういうものこういう人が好きで、こういう考え方を持っていて、こういうことを信じていて、こういうことを正しいと思っていて、、

 

 

それが、自分というものを作っている条件付けなのです

 

病気と言うのは、この条件づけによって起こるとも言えます

 

例えば、胃が痛くなったとします

 

胃が痛いというのは、肉体の感覚ですが、

 

やりたくないことを無理にやったとします

 

そうすると、無意識はその現実を否定しますが(何故ならやりたいことは〇〇なのに)、

 

意識ではその想いを無視、あるいは何かのもっともらしい理由をつけて抑圧したとします

 

そうすると無意識の押し戻さえたエネルギーは、淀みとなって肉体に表れます

 

条件づけがあればある程(想いの度合いは強くなり)、

 

無限のフィールドのエネルギーが流れなくなり

 

生命体のエネルギーは弱まり、内分泌、神経組織に影響を与え病気を誘発します

 

自律神経は乱れ

 

肉体の自然治癒力、免疫力は低下し、更なる疾病を起こします

 

何故なら無意識のその先に、本来の自然治癒力のエネルギーがあるからなのです

 

そこで、、

 

自分の呼吸にじっと寄り添う

自分の鼓動にじっと感じてみる

自分の身体にじっと耳を傾けてみる

そして、自分の心に正直にその声を聴いてみる。。

 

それが、「自分と正直に向き合う」ということです

 

勿論、急性の痛みやその他の症状が在る場合には、病院にいって診てもらって薬をもらうとか、

 

適切な処置をしてもらうのも必要なことですが、

 

お医者さんに診てもらうとか、薬を飲むことというのは、対症療法であることに気づくことが最も大事なことなのです

 

従って僕らが普段医療だとしている医療は、ほとんど全て対症療法に過ぎないのだといえるのです

 

クライアント、施術される人、患者さんは常にこのことをよくよく認識しておくことが大切です

 

でないと、自分と向き合うというプロセスを経ないで、見過ごしてしまうと、

 

身体の反応を一時的に押さえ込んでいる又は一時的に流しているだけなので

 

かえって後々重たい病気を招いたりすることがよくあります

 

これは、施術する側にも言えることなのですが、前回もお伝えしたとおりその施術者の「あり方」が、

 

患者さんやクライアントの向かう方向を定めてしまいますから、

 

施術側も同時に(むしろ先回りして自分の無意識に入っていく必要があります)向き合っていかなければなりません

 

「胃が痛い」というクライアントさんがいたとします

 

施術側は、その「胃が痛い背景に何があるのか」それを問いかけを通して、ただ傾聴していきます

 

 

「胃が痛い自分(クライアントさん)」と、「胃を痛がっている自分」に「気づいている自分」とは違うはずです(そういうことは伝える必要はないのですが)

 

お話しをされていく中で、自分が話していく内容に、「気づいている自分」が見え始めてきます

 

そして、施術者はその「気づいている意識」にフォーカスしていく

 

その気づいている意識によーく寄り添ってみる、

 

気づいている意識に留まってみる、それを何とか観察してみる、

 

そうすると、その人の気づいている意識と重なってくる

 

その人の代わりにそこに寄り添ってみる

 

そうすると、いろんなことを話されていくうちに、記憶に過去に留まっていた感情が沸き立ち、

 

自分という条件付けが、露わになっていく。。

 

癒やされていない自分が顕になっていく。。

 

とめどなく涙が溢れ、溢れた涙は、感情という大きなウネリ、淀みを洗い流してくれる

 

 

 

感情という世界を超えた地点で、急に勝手に気づきが起こってくる

 

それは、とてつもなく平和で安らかで静かで安堵の気づき。。

 

 

それは何かというと

 

「愛の気づき」

 

無意識にある罪悪感も、後悔も、悲しさも、悔しさも、憤りも、言い訳も、、、

 

 

全部ぜーーんぶぜーーーんぶ吐き出していった先にあるものは、

 

 

「愛」の気づき

 

これしか残らない

 

 

ネガティブな発想や思考は、実は深い愛によって支えられていることに心の底から気づくと、

 

 

その思考はガラガラと音を立てて崩れ去る

 

条件付けは、深いところで単に自我の一部のペインボディー(エックハルト・トールのいう)であることに気づく

 

 

この深い気付きが起こったとき、人はシンプルに癒される

 

その深い癒やしが起こるのは、体験を通してのみ体験できる

 

体験を通してのみ、人は癒される

 

だから、何度も何度も苦しみや悲しみを体験し、

 

それを抑圧せずにそれを、受け容れていった人、向き合っていった人には、その深い世界との信頼が横たわる

 

だから、自分を癒せて、はじめて人を癒せるのだと本当に思う

 

恐らく自他を問わず、この癒やす、癒される体験には終わりがないのだと思う

 

それが人生のストーリーの醍醐味、創造の豊かさ、変化のアートなのだと思う

 

僕らの病、苦しみは、本当は無条件の深い愛によって創造されているのですから。。

 

読んでいただきありがとうございます

 

 

 

 

さて、ここまできましたね、、次回はいよいよ完結編です

 

一緒に、医の本質を、じっくりと味わいましょうか。。