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「夜遊び」といえば? ブログネタ:「夜遊び」といえば? 参加中

この数年の夜遊びと言えば花火しかあるまい。
アメリカは州によって花火禁止なんだがね、家庭用の手持ち花火なら
特に問題もないので夏にチビ達が来ると、バケツ片手に楽しんでいる。
オットはとにかく心配性なので、チビ達は3人とも
ゴ ー グ ル をつけさせられ、濡れたタオルを羽織らされたりして
重装備で花火に歓声をあげている。
オットの心配性、とにかく大袈裟でたまにウンザリするけど
転ばぬ先の杖って言葉もあるので、だいたいオットの言う通りにしているわね。




さて、今、私の枕元には大量の文庫本が積まれている。
古本だけれど、読んでいない日本の本が読めるのは心の底から嬉しい。
阿川弘之さんに田辺聖子さん(おせいさん)、有吉佐和子さん。
泉麻人さんもあるし…たーくさんだ。
あらら、ビジネス書もあるよ。
30冊くらい、ある。
ああ、嬉しい。

週に一回は行くジャパニーズ・アジアンストアーは韓国人の御夫婦が
やってらして、基本の日本食はここで全て揃う。
私はこの店の良いお客さんらしく、一人で行くと店主が
韓国のお茶やお菓子を出してくれて、あれやこれやと話し込んで来るのね。

で、昨日。
マスオさんによく似た店主が「おーミセスR!日本の本いっぱい。
持って行けば?」とダンボールを抱えて出迎えてくれたのだ。
喜んで選ばせて頂き、遠慮しつつもダンボールに一杯。

何でも新しくコチラに赴任してきた日本人一家が
「置き場所に困っちゃった。」と持ってきてくれたらしい。

泉麻人さんや田辺聖子さんを読んでいるあたり…
おそらく私と同年輩のバブル育ち世代か?
いつか買い物中にお会いしたら、お礼を言わなくては。



子供時代、私は身体が弱くて
よく熱を出しては学校を休んで寝込んでいたものだ。
寝込んでいる時の親友はTVよりも、漫画よりも本だった。

祖父の家訓である「書物に金を惜しむな」を大いにリスペクト
していた母と伯母は、私に本だけはよく与えてくれた。
読書は知識ではなく、完全に娯楽だ。

小学生の私に、母も伯母も自分の書庫を解放してくれていたおかげで
私は生涯の「心の恋人」沢木耕太郎さんを夢中で読み
佐藤愛子さんと田辺聖子さんのエッセイで女心の不可思議さに
想いをはせ、野坂氏で性のある種の業深さに怯え
赤頭巾ちゃん気をつけてのカオル氏で大人の男の可愛らしさを感じ
北杜夫さんの躁病エッセイで笑い転げた。
幸田文さんも宇野千代さんも、漢字にはルビをふっている物が多く
9歳にもなるとグッと深く文章の中に入り込めたような気がしていたものだ。

本さえ与えておけば大人しく楽だったのだろうとも思う。
(と、いうか身体が弱く体力もなかったので、私は本当に静かな子だった)



もちろん子供らしい本もよく読んでいた。 

ジャングルブックのモーグリは、肺炎の私を
ジャングルの奥深く、カーの前に連れ出してくれたし
海底二万里はネモ船長の謎めいた価値観に首を傾げつつも
何度も読み返した。
(海底二万里の挿絵の白黒リトグラフは今の家の階段壁を飾っている程だ)
メアリーポピンズのバンクス一家は確実に隣に住んでいたし
ミスジェーンピットマンは暗い庭の片隅に隠れていた。
トムソーヤーとハックルベリーフィンは、目の前でトンボ玉を
やりとりし、赤毛のアンは緑の毛になり「どうしよう!」と
私に泣きついてきた。

物語を読みながら、熱や痛みをやり過ごしていたワケだ。


そういえば、子供の頃の物語が現実に数年前、目の前に現れた事もある。

小学校の教頭だった伯母は「差別はいけないのよ」と
『ニグロ民話集』というアフリカンアメリカンが
主役の一冊を与えてくれた事もあった。

アメリカ南部が舞台のその一冊は「まじない」や
黒人同士の「うわさ話」が翻訳してあるのだけれど
なんというかオチがないような話ばかりで
よくわからないままに読み進んだ一冊だった。

あくまで「本の中」のわからない事だったのだが
その後28年ほど経って、現実に南部ミシシッピのその場に住み
ルイジアナに行きまくったりして
「あの話はこういう事からか!」と心の底から納得して
その場で頷いた事があった。

ルイジアナのソウルフードの店で、カバのようなオバちゃんと
「チットリンズ…うめーのに若い子は食べないねえ」
「日本ではそっくりな煮込みがあってさ、モツ煮っていうのよ」
「へー日本人は臓物を食べるの?!」「そうよー」
なんて話をしていたら、奥から
一 回 燃えちゃったようなダークスキンなお婆ちゃまが出てきて
南部訛りバリバリで
「モツはさ…まじないに使ったり、糊作ったりよ…便利なんだよう…」と
教えてくれたのだ。

お婆ちゃまの一族は、アフリカからの奴隷ではなく
商売の為にアメリカに身を寄せたカリブの島国出身だった。
その島というのは、当時フランス領だったハイチだったワケね。
「まじない」ってのは、今でもニューオリンズの名物になっている
ブードゥー教。
お婆ちゃまは、当時のルイジアナで
シャーマンや占い師を生業(なりわい)としている一家の中で
育ったのだそう。

チットリンズ(ソウルフード版モツ煮)を食べている私に向かって
「そら、モツをさ、まあ、噛み付き亀のだけどさ、それを干して
~~~~~(聞き取れず)するとオデキのまじない薬が出来るのよ」

オ デ キ の ま じ な い 薬 ?

途端に色鮮やかに私の脳裏に広がった一文が。
『ニグロ民話集』の中にあったワン・ストーリー。
「わたしの鼻がぺちゃんこなわけ」だ!
呪いをかけられた黒人娘が鼻を失ってしまう話だった。
そうか、あれはブードゥーの話か。
なるほどねえ。
私はその場で深く頷いたのだ。

帰り道、おそらく話に出てきたブードゥーのまじないオデキ云々は
梅毒などの性病ではないかな?と、思ったのだが
あの空気の中では、そんな正論は上滑りしてしまうような気がし
何よりも、現代医学を持ち出すような大人に育った自分が
「なんて退屈な人になったんだろう」と自己嫌悪に陥ってしまった。



で、大人に近づくにつれ、読書は世相に合ったものが楽しくなった。

回りで読書をする仲間は居ないながらも高校時代は
昭和軽薄文体と呼ばれた椎名誠さんの旅と野外の日々を
田中康夫さんのクリスタルな都会な若い大人達を
村上春樹さんのオシャレなんだけど、結構体育会系な文章を
通学カバンに忍ばせていた。

水商売で生きたいなーと思い、田崎信也さんのエッセイなども読み
田崎さんの大ファンになったのも18歳の頃だったと思う。
(田崎さんて旅役者のような感じだが、ワインと接客に向かうと本当に素敵だ)

高校卒業後の専門学校は渋谷にあり、バイトや
自宅に戻らなくても良い夜などがあれば、都内に住むクラスの子達と
夜の原宿や青山近辺に遊びに行っていた。
流行のカフェバーやら
ディスコでは「作家の○さんが来てるよ」と黒服にノーズシャドウの
店員さんから教えてもらい遠くから眺めて
『文章と本人てのはギャップがあるなー』と近寄らずにいたりした。

夜はキラキラしていて、自分もその中に居るのだけれど
子供時代に一人で本を読んでいた時のような充実感はなく
ただただ浮ついていて、心底楽しかったのは一人で
専門学校をさぼって、神田に行き古本を手にとっている事で
当時の恋人から「暗いよねー実は」などと言われてイラっとしたり。


今は、好きなものを読み散らかしている。
読書好きでも、日記も書かなかった自分が何か書くなどとは考えもせずに
過ごしていたけれど、十年以上前からブログをダラダラと
書いて、鬱憤晴らしまでしている。
で、自分の書いたダラダラなどは読み返さず
相変わらず子供時代からの友人を本棚から引っ張り出しては
読んでいる。
厭きないものだ。
でも、まだ読んでいない本ってのは実に心躍る。
冒険、冒険だ。